21年前、教会で奉仕を始めたばかりの頃、ある姉妹が「大変な思いをして子ども(乳幼児)を礼拝に連れてきても、礼拝が始まると静かにさせなければならない。結局、みことばを全然聞けないし、疲れきってむなしく感じるよね」とぽろっと言われました。その当時は、6畳のベビールームに5~6組の親子がいて、授乳したり、おむつを替えたり、寝かせたり、足の踏み場もないくらいでした。「子ども連れのお母さんたちで集まって、ゆっくりコーヒーを飲みたいよね」ということで「ゆりかごの会」がスタートしました。
火曜日の10時半に集まって、コーヒーを飲みながら、礼拝で教えられたこと、最近の証しや、子育ての悩みなどを分かち合いました。第一回は4組、いやされる肩のこらない集まりだったことを思い出します。親のニーズが満たされることが中心でした。
そのうち、「子どもたちのためにも何かしてあげたいね」ということになり、「紙芝居を読んでもいいよ」「短いリトミックをやろうか」「私何もできないから、おやつ持っていくね」など、試行錯誤の時期が続きました。少しずつ幼児教室の形が整ってきたように思います。しばらくして、「外に向けて、『みんなの広場』に出してみようか」と言う声が出て、フリーペーパーに載せていただくことができました。当時は、親子ナースリーがほとんどなく、掲載された翌日から、電話が鳴り続けました。
翌週には、一挙に10組位の方々が見学に来られたと思います。今までは、教会内で内輪でやっていたのに、いきなり、予想を超える大勢の見学者の方が来られ、とまどいの時期が続きました。初めての場所になじめないで泣き叫ぶ幼児、よその子からおもちゃを取ってしまう子、たたき返す子どもに、気まずい思いであやまる母親など、本当に悲鳴のたえないナースリーでした。何と言っても大変だったのは、幼児教室の経験のあるスタッフが1人もいなくて、全員が自分の子どもをかかえながらの奉仕だったことでした。
でも、ほとんどのママたちは、交わりに飢えていて、喜んで続けて参加してくださいました。参加者の四分の三くらいはノンクリスチャンだったと思います。一度見学に来られただけの方々もいましたが、チャペルタイム(乳幼児と一緒の賛美や手遊び、短いメッセージとみことばとお祈り)は、ママたちにも受け入れられていたと思います。場所が広くはなかったので、「定員」が必要だということになり、25組を定員とさせていただきました。それでも、ウェイティングリストができるくらい多くの親子が遊びに来てくださり、地域への窓として用いられたことは感謝でした。
プログラム自体は、毎年少しずつ改善されていったように思います。毎月のテーマ曲や毎年のテーマダンスも取り入れていきました。毎月の知育遊びのテーマとして「色」「動物の名前」「体の名前」なども考えました。親子体操や親子ゲーム、しつけ遊び(ハンカチたたみ、ぼたんはずしなど)、歌とダンスと工作などを取り入れたオリジナルの6分野のカリキュラムを作ったのも楽しい思い出です。運動会や遠足、クリスマス会などのイベントも自然に増えていきました。
私たちは、ゆりかごの会から救われて礼拝につながる親子が与えられるように祈っていました。最初に救われた親子は、ご主人の転勤で神戸に引っ越して行かれました。二番目に救われたご家族は、シンガポールからの留学生で、数年で母国に帰られました。そして、三番目に救われた方は、ご主人と共に近くの大きな教会に通われることになりました。中々実が残らない働き?であるかのように言われてがっかりしたこともあります。
でも主は「ひとりが種を蒔き、ほかの者が刈り取る」(ヨハネ4:37)とのみことばを持って、励ましてくださいました。当時の私は、奉仕をしているという感覚ではなく、「自分の子どもの友だちを捜している」という感覚だったので、親子ぐるみでお付き合いさせていただいて、本当に感謝でした。子どもが大学生になった今でも、お母さんたちからランチに誘っていただくこともあり、一生の友人を与えられていたことを思います。
今は、子どもたちが育ち、手もかからなくなって、多少の経験も蓄積されてきたのですが、中々親子ミニストリーの道が開かれなくなりました。クラス自体は「赤ちゃんクラス」として継続しているのですが、私自身が年を重ねて、「同じ立場にある友だち」としては見てもらえなく思ったことを思います。振り返ると、すべてのことには時があって、入園前の親子に友人として接することができる最高の時代は、はるか昔に過ぎてしまっていたことを、通り過ぎてから気がつきました。
いつも幼い子どもたちと一緒で、自分の時間も持てなくて、形になる「ミニストリー」など何一つできず、静まって聖書研究などを導くこともできなかった入園前の子どもと一緒に過ごしていた時期が、かけがえのないゴールデンタイムであったことに気がついたのは、過ぎ去ってから後でした。
(聖書の光 166号)