振り返ると、今まで非常に多くの伝道の失敗を積み重ね、今日もまた新たな失敗の記録を塗り替えているのですが、これだけの時間とエネルギーを与えてくださった主に感謝します。また、足りない器を忍耐深く用い続けてくださっている主の憐みに感謝致します。きょうは、悲劇に終わったサッカー伝道をご紹介します。

今から十数年前、求道者の大学生M君が礼拝に時々出席するようになりました。M君は、ブラジルにサッカー留学して帰国し、日本の大学のスポーツ科学部に入学しました。サッカー好きで、子どもも好きで、「子どもにサッカーを教えたい」と夢を語ってくれました。

当時の教会学校の悩みは、小学生男子が少ないことでした。男子の多くは野球かサッカーのクラブに入っていて、土曜日や日曜日は練習に行ってしまいます。それで、地域の少年たちがほとんど教会学校に来なかったので、「教会でサッカー教室を始めよう」「M君に教えてもらおう」ということになりました。

といっても、本格的なサッカーチームを立ち上げるにはグランドも必要だし、コーチや監督も必要です。何より週に何日も練習することが必要ですが、それほどの余力はありませんでした。それで、「サッカーを楽しもう」をコンセプトにして、教会の近くの広場で「サッカー遊び」を始めることにしました。最初にちらしを配って土曜日に始めた時は、「10人以上の参加者が与えられるように」と祈っていたら、ちょうど10人の小学生が与えられました。M君がコーチ役で、小学生を巻き込みながら、コーンを立てて、サッカーの基本からミニゲームまで、1時間半から2時間位、楽しく体を動かしました。

その後、曜日が日曜日の午後に変更になりました。「午前中に教会学校に出て、午後サッカーをしよう」という予定でした。でもふたを開けてみると、午前中から来る子どもはクリスチャンホームの子どもだけで、地域の子どもたちは一人も教会学校に来ませんでした。「CSに出ないとサッカーに参加できない」などの強い縛りもなかったので、今思うと無理もないことだったと思います。それにクリスチャンホームの子どもたちは、特別にサッカーが好きだったわけではなかったので、午後は教会でゲームをして遊ぶようになり、サッカーには参加しなくなりました。その時の「サッカー遊び」は、教会のミニストリーという意識があまりなく、休憩時間に一人の姉妹が冷茶を差し入れに持って行ってくださる程度でした。チャペルタイムなどもありませんでした。サッカー遊びから教会学校につながることもなく、毎週参加するリピーターが増えることもなく、ゆるい感じでサッカーを楽しみに男子が参加するという感じでした。

さて、悲劇は思いがけない所からやってきました。M君には、当時付き合い始めた女性の友だちがいたそうです。ところが、その女性が突然自死してしまったのです。それはM君にとって大きなショックでした。M君はその友人の死が原因で、鬱になってしまいました。何人かでケアしようとしましたが、心の傷は余りに深いものでした。M君は、礼拝には出席していたのですが、神様を受け入れることができませんでした。それからほどなく、教会に顔を見せなくなり、「サッカー遊び」も数か月間で解散になってしまいました。結局他チームと練習試合をすることもありませんでした。

今振り返ってみると、求道者だったM君が一人で、サッカーのミニストリーを始めたということが困難だったと思います。そもそもそれは、ミニストリーと呼ぶべきものでもありませんでしたし、そのような決断を私が下してしまったことが愚かだったと思います。祈って、協力者を求めて、全体を組織化していくべきだったと思います。時間をとってM君を信仰に導くことを優先すべきだったとも思います。無意識ではあっても、サッカーの「能力」によって人を集めようとしたことは、信仰的でなかったと言えるのかもしれません。

けれども、それは一歩踏み出して、失敗してから教えられたことで、その当時は目の前の「導き」と思えたことに従って、祈って最善と思えたことを実行していました。主は、未熟な私に様々なできごとを通してキッズミニストリーについて教えてくださいました。

このスポーツ伝道から教えられたことは、次のようなことです。

 

  • スポーツ伝道の目的を考えること。

「スポーツをすると男子が集まる」のような安易な発想ではなく、どんなスポーツを何のためにするのか、祈りながら企画することが必要だと思います。特にチームスポーツの場合、技術力によって差が出て、どこに焦点を当てるか定まっていないと、誰にとても物足りない中途半端なものに終わってしまいます。

 

  • スポーツと伝道をどのように結びつけるのか考え、伝道チームを組織すること。

コーチの証も大切だと思いますが、何もかもコーチに丸投げをすると負担が大きすぎるので、チャプレンのような役割の指導者を立て、チャペルタイムをゆだねることが必要だと思います。また、どのようなタイミングでチャペルタイムを持つのか、についても充分な準備が必要だと思います。

 

  • 技術と使命にあふれるコーチやアシスタントコーチ、マネージャーが複数与えられるように祈ること。

学年によって技術の差も大きく、一人ではとてもまとめきれません。また、スポーツの技術と全体をまとめる役割は違い、子どもの名前を覚えてフォローしたりする人も必要です。さらに、グランドを予約したり、練習試合の相手チームを探したり、ちらしを作ったりなど、事務的な裏方の仕事も多くあります。

 

  • 教会全体の祈りによって支えられること

基本的にすべてのミニストリーは個人的なビジョンや使命だけでなく、教会全体に祈られて支えられていく必要があります。どのミニストリーも始めるのは簡単でも続けるのは難しいものです。

さて、現在はスポーツ伝道という形では継続していません。けれども、土曜日の体験教室の中でドッジボールをしたり、外遊びに行ったり、体を動かす楽しさは取り入れています。すべてのことには時があるので、主が送ってくださる奉仕者の賜物に従って、導きを待ち望んでいきたいと思います。

 

(聖書の光170号)

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