2016年、神戸でJCE6(第六回日本伝道会議)が開かれました。その中の15のプロジェクトの一つが「子どもプロジェクト」で、子どもミニストリーに関する様々な理念やミニストリーの実践例などが分かち合われました。その内容を一部編集して、ご紹介したいと思います。
良い地に多くの種を蒔き続ける
教会学校がピークであった1951年と2010年の統計を比較すると、教会学校に出席する子どもの出席数は、一教会あたりの平均で95.9人から9.2人、約十分の一以下に減少しています。ところが、礼拝に出席する出席数は37.8人から32.6人で、それほど減少してはいません。子どもは、なかなか教会に来なくなってしまった。大人は、結構続けて来てくれる。そうすると、どうしても、伝道対象が大人中心になり、プログラムもスタッフも資源も予算も、大人へのアプローチが重視されてしまいます。
ところが、日本人で実際にクリスチャンに回心する人の51%は、18歳までにクリスチャンになっています。クリスチャンになる割合が高いのは、高校生、中学生、小学生、学生、成人の順です。キッズ・ユース年代こそ、最も心が開かれて、柔らかく耕されている「良い地」にたとえられます。そして主ご自身が良い地に種を蒔くように言われました。伝道11:1,4,6によると、蒔かれた種はすぐに収穫できないけれども、絶えず種を蒔き続けるようにと勧められています。詩篇126:5-6によると、種を蒔き続ける働き人には、収穫が約束されています。現在の出席者が多いと、目先のプログラム等で忙しくなり、迷っている99匹が見えなくなってしまいます。今、多くの出席者が与えられているということは、数十年前、誰かが必死になって種を蒔いてくれた結果で、私たちの奉仕の成果ではありません。(ヨハネ4:35-38)でも、現在種を蒔かないと言うことは、将来、収穫どころか、教会存続さえ危うくなってしまう危険性があります。だからこそ、現在の出席人数や、目先のプログラムに気をとられず、最も開かれた良い地である子どもたちの心に福音の種を蒔き続けなければならないのです。
それは、単に教会学校を継続することに留まらず、キッズイベントに地域の子どもたちを招く、スポーツや英会話、料理などの教室に子どもたちを招く、子どもクラブやキャンプに誘う、ちらしを配るなど、あらゆる方法を駆使して、キッズへのアウトリーチを工夫し、福音を分かち合って救いと成長に導き続けることを意味します。時がよくても悪くても、子どもが多くても少なくても、とにかく祈りつつ、ぶれずに若い世代にフォーカスし続ける視点が必須です。
筆者の所属する教会は、2016年に19の小学校でのべ29回、ちらしとマンガトラクトを配布させていただきました。小学校前のちらし配布は、受け取ってくれる割合は毎年減少してきて、教頭から止めるように言われることもあり、必ずしも一番良い方法でないと思います。ほとんどの小学校は教会へ歩いて通える距離ではなく、そこから教会には来ていません。にもかかわらず、継続しているのは、主の時が来る時に近くの教会に導かれて将来のリバイバルの原動力になってほしい、と期待しているからです。もっとよい方法が見つかればよいのですが、若い世代にもれなく福音を届ける方法として、これ以上の方法を知りません。
子育て中の家庭を支援する
JCE6の子どもプロジェクトアンケートによると、信仰を持ったきっかけで一番多かったのは、礼拝や特伝、教会学校やキャンプではなく、クリスチャンの親の影響によるものでした。詩篇128:3-6によると、子どもが与えられていることは家庭にとっての祝福です。主は親たちに「子どもたちを、わたしのところに来させなさい」と言われました。(マルコ13-16)けれども、そのあと親たちは子どもをイエスのもとに置いて帰ったのでなく、一緒に家庭に帰っていったのです。モーセも、サムエルも、イエスもテモテも、神を愛する親によって祈られて家庭で成長しました。子どもを親から引き離すのでなく、むしろ親も子どもも一緒に、主にあって成長することができるなら幸いです。特に幼い頃、信仰と祈りのあふれる家庭で育てられることは何よりの祝福です。子育てが重荷でなく、喜び・祝福へと変えられればどんなに楽になることでしょう。
去年は、「保育園落ちた。日本、死ね」という衝撃的な書き込みが話題になり、政治を動かしました。待機児童の問題など、家庭にスポットが当たるようになったことは感謝なことだと思います。一方、多少違和感を覚えたのは、政策だけが独り歩きしていることです。保育園の数が増えても解決しない子育ての課題は多いと思いますし、教会の存在感が薄いのは悲しいことです。その中で、幼児対象の親子プログラム、ママカフェ、放課後クラブ、子ども食堂、学習支援など、伝道という視点でなく、地域への子育て支援を主目的としたミニストリーが注目をあび、用いられるようになっています。包括的なアプローチという視点から考えると、主イエスも食べ物を与え、病いを癒し、税金を払うのを助け、悪霊を追い出し、広く生活の全ての面で、助け支えてくださいました。全ての教会が全てのミニストリーができるわけではありませんが、与えられた賜物を生かしながら、地域での子育て支援のために仕えていきたいと祈らされます。子どもを預かる、お母さんと交わりをする、など身近なところから始めたいと思わされます。
次々世代を育てることのできる次世代を育てる
「子ども」プロジェクトというと、教会学校など子どもを主な対象とするミニストリーに目が向くわけですが、子どもだけに集中してしまうことが、弊害をももたらしていると思います。つまり、「子どもミニストリーはCS教師や親たちが担当する」と一部の人に任せて、教会全体の働きとなりにくくなるということです。一部の人たちの働きだけでは、教会全体が大きく変わることはないでしょう。
4/14の窓運動では、優先順位に注目していて、子どもに最優先にアウトリーチして、救いと成長に導くと共に、「子どもを奉仕者として育て、共に奉仕し、さらに次々世代のための伝道者として送り出す」ことを中心的な課題として考えます。「次々世代を育てる次世代を育てる」ということです。教会学校に関して考えると、子どもが次の世代の奉仕者になるように訓練していく、ということです。
熱心に教会学校に通って来た小学生も中学に入ると部活や受験のために、「教会から離れる」状態になることが多いかもしれません。中高生に奉仕を頼むどころか、お客さんとして来てくれるだけで感謝、が現状かもしれません。でも、中高生は決してお客さんとして座っているだけでは満足しません。そして、いきなり中学になって奉仕というのでなく、小学生のうちから主体的にミニストリーに参加するように導くことが大切です。
小中学生は、どのような形で喜んで奉仕に関わってくれるでしょうか。ダンス、ゲーム、バンド(キーボード、ギター、ベース、ドラム)、賛美リーダー(ボーカル)などは一般的になりつつあります。それと共に、「スターターキット」や「紙芝居」を使って小学生上級生・中学生がキッズメッセージにチャレンジするようになった、という証を聞き、非常に励まされています。CS教師が「教師」として教えるのでなく、「コーチ」として、子どもたちが次世代を教えることができるように育成する、という方向に向きを変えるのです。IIテモテ2:2では、指導者の育成という視点が強調されていますが、各世代が自分たちの下の世代を育てていくように奉仕を継承していけば、全員が奉仕者として成長していくことができるでしょう。
民数記8:23-26によれば、50歳になったら青年世代に奉仕を委ねて、メンターとして奉仕をするように命じられています。教会全体で、若い世代に奉仕を継承していくというシステムを構築していくことが必要です。
奉仕の協力関係のネットワークを構築する
エリヤは偉大な預言者、神に用いられた働き人でしたが、偉大であればあるほど一人に頼ってしまう、という危うさを秘めています。I列王19:4を見ると、エリヤは主に大きく用いられたにもかかわらず、燃え尽きて死を願うようになったと記録されています。その時に主は彼を休ませて、神の臨在にふれさせ、それと共に、ハザエルとエフー、次世代の預言者エリシャ、そして神に仕える次世代の7000人に奉仕を継承するようにと、新しいビジョンを与えています。(I列王記19:15-21)
教会で少人数に奉仕が集中すると、視野が狭くなり、負担が大きくなりすぎて、煮詰まって燃え尽き、奉仕を辞めたくなるかもしれません。近隣の教会に見学に行く、キッズ伝道のリソースを超教派団体から購入する、キッズ・ユース関係の超教派イベントに参加する、超教派のキャンプやセミナーに参加者を送り出す、などネットワークをひろげる方法はたくさんあります。よその教会のウェブをのぞいてみるだけでも、とても参考になります。http://jeakodomo.weebly.comを見ると、キッズに関する情報が集まっています。キッズミニストリーに関して分かち合う場が意外と少なくて、伝道会議のディスカッションでも、30分では話し足りない、60分以上の時間がほしい、と希望が出されています。
JCE6では、関西でKFSM(キッズアンドファミリーサポートミッション)で教派を超えた地域協力関係が紹介され、励まされました。関東地域でもジョイフェス読売ランドの働きが継続しています。また、4/14Window movementのfacebookでは、世界中のキッズ関連の情報が入って来て、参考になります。子どもプロジェクトだけでなく、青年宣教プロジェクト、ファミリーミニストリープロジェクトとも連携を深め、宣教に関するネットワークが拡がるように、と願っています。今年こそ各教会にとってRe‐Visionの年、新しいビジョンが与えられる年となりますように。