2005年2月5日(土) お茶の水クリスチャンセンターにて開催
子育ては夫婦共同の働きです。今回は、クリスチャン夫婦として大ベテランの辻岡先生ご夫妻をお招きして、子育てにおける夫婦の役割、ご意見の違いをどのように乗り越えてこられたかなど、ご夫婦からのお話とお交わりを通して学びました。先生方は、約20年の牧会後、今年で20周年を迎える「小さないのちを守る会」を立ち上げられ、ご夫婦で会の働きを支えてこられました。お子さん4人、お孫さん10人の祖父母でもいらっしゃいます。以下は、お二人の講演の要旨を編集部でまとめたものです。

<妻として・辻岡敏子氏>
創世記2章18節、22節―24節には、「一体となった、私の骨からの骨、肉からの肉」とあるように、歓喜して幸せいっぱいの男女が記されています。しかし、しばらくすると骨肉の争いに発展するのです。現代も毎日のようにそうしたことが報道されていますし、クリスチャン夫婦であるからといって安心できないこの頃です。赤ちゃんのときにおかれていた環境の違い、育ち方の違い、親から与えられた価値観の違い、生まれ持ってきた性格の違いなど理由はいろいろあると思いますが、根本的にはアダムとエバが神様に背を向けたことによって人間が罪の中に陥ってしまったことによると思わされます。
私たち夫婦はまったく正反対の環境で育ち、正反対の性格をもって結婚しました。主人はとても外交的で積極的、私は内向的で消極的で静かにしているほうが好きです。主人は感激するとそれを表に出すのが好きで、私は自分の心にしまっておく方です。もちろん、二人で同じことに感動することはたくさんあるし、それがなかったら40年以上夫婦でいることは難しかったとは思います。私たちは、ただ相手がクリスチャンだからということでお見合いをし、たった3ヶ月で結婚しました。お互いの違いを融合させるために、葛藤の連続でした。結婚して3年目ごろ、2人の娘が与えられていましたが、主人は何の相談も理由もいわずに、突然神学校にいって勉強すると宣言しました。主人の心がわからない神学生時代でしたが、それと同時に、いろいろなことに目を開かされる恵みのときでもあったと思います。その1つが、私は主人の助け手である、ということでした。こう言うととてもよい妻であったと思われるかもしれませんが、決してそうではなく、自己中心的な私でした。こうなりたいと思っても、主人を変えたいと思っても自分の力では決してできないことを身にしみて教えられました。
私は自分が育ってきた家がとても好きでしたし、母に教えられた価値観を大事にしたいと思ってきました。しかし、それまで知らなかったような人と出会い、なぜそう言うのか、なぜそう考えるのか、まったく主人がわかりませんでした。聞いて納得したいと思いましたが、主人はそういうことにこまごまと答えてくれる人ではありませんでした。「なぜ」と聞くと、「なぜでもいいじゃない」と答えが来る、「だって」というと、最後には「だってとかどうしてとかいうことばは聖書にはない」と言われました。絶対服従を求められたのです。
私は主人に従いたいと思いましたし、主人にふさわしい助け手でありたいと思いましたけれど、「だって」とか「どうして」と言わない自分にはなれませんでした。そういう自分に絶望して、また主人がわかってくれないことに絶望して、ある晩、独りで祈らざるを得ないところに追い込まれていきました。その夜のデボーションの箇所が出エジプト22章6節、ショートメッセージにはこうありました。「他人の穀物を焼くのは悪い、しかし魂を滅ぼすことは比べることができないほど悪い。私たちのうちに骨肉、隣人の魂を傷つけていないか反省することは有益である」。妻としていろいろなことを言ってきたことは、実は主人の心を傷つけることだったのだと気づいたのです。悔い改めの後、両肩にのっていた重荷がすっと下におりていくのを感じました。次の日から、絶対服従できたわけでも、主人が変わったわけでもありませんが、確かに夫婦関係がそこから変わったのです。許しあう、受け入れあうことができる者として、神様が私たちの上に御手を伸ばしてくださったのです。そして、この大切な教訓を忘れるころ、また神様はそれを思い出させてくださいました。どれも痛い体験でしたが、私にとってはとても大切な体験でした。
夫は叱られたことがないという家庭に育っています。ですから、主人はどう叱っていいかわからないようでした。私は叱り役の父親のような存在であり、主人はお母さんのような優しさとユーモアのある父親であったと思います。でも、私が厳しい分、夫が優しいという、バランスがあったから、よかったと思っています。子どもたちが思春期になり、一人の子と話してもらいたいときには、その子と父親とでレストランに行ってもらったり、私が話したいときには、ほかの子を連れ出してもらってうちで二人になって話すということもよくありました。子どもが小さいときには、謝り、その後一緒に神様に祈るということを繰り返してきたと思います。でも、だんだん子どもたちが大きくなると、ぼく一人で祈るから、お母さんいいよといわれたり、自立といえば聞こえはいいが、きっと私からの束縛から逃れたかったのでないかと思います。きまじめにやりすぎてしまったかもしれないと今になって思います。
小学生のときはよかったが、中学生になったら、特に男の子は何を考えているかさっぱりわからなくなり、まるで宇宙人か異星人のようだと嘆いたこともあります。でも、感謝なことは、私たちには祈りの道が開かれていたことです。子どもたちが体も心も遠く離れてしまったように感じたときにも、私には祈ることができました。それだけが残されていたと思います。中学3年生の息子のことがわからなくて本当に悩んだとき、娘が言いました。「お母さん、大丈夫だよ、だって、お母さんや私たちが愛するよりももっと大きな愛で神様は○○を愛しているんだから」。私は、今の問題にばかり目をとられて、神様が愛しておられることを忘れていたのです。私は娘たちに励まされたり、慰められたりしてきました。それから、神様にゆだねる祈りをささげることができるようになり、祈りが聞かれていることを確信できるようになりました。
最後に、40代になり、牧師夫人になった長女が書いた証しをご紹介したいと思います。(以下要約)「日曜日だからと遊びに行かせてもらえなかったのを悔しく思ったこともあります。けれども、神様がいるかいないかという議論の余地なく信じて育ちました。中学3年のとき、両親の勧めもあり洗礼を受けましたが、それは今思うと崩れ落ちたときの大切な私の支えであったと思います。もちろん、洗礼を受けたからといっていい子であったわけでは決してない、どれだけ神様を、母を悲しませただろうと思うと今でも心が痛みます。私自身が母となったとき、母から1枚のコピーが送られてきました。そこには、『涙で祈る母の子は滅びない』とありました。何年もたってそのことばがよみがえってきました。慰めと力を与えられました。私の背後にどれだけ母の涙の祈りがあったかと思います。60代になって母が書いた文章には、『みこころにかなう母になれるように。60歳になった今も私の課題です。親はただひたすら神を信じ、子どもを信じて祈るのみ。』とあります。一人で生きてきて、一人で信仰をもったように思っていました。けれども、この母の祈りと、アブラハムのように先がわからなくても神に信頼し旅立つような父の信仰の生き方の中に、私は育てられてきたと思います。その両親の信仰を受け継いできたのだと感謝しています。今度は、私が祈りの中に子どもをはぐくみ信仰をわたすものでありたいと祈るのです。」
私は、至らない母親でありましたし、誤りを打ち消すことも取り返すこともできません。けれども、神様はあわれみと恵みによって子どもたちを成長させてくださり、一人一人信仰を受け継いでくれたと感謝しています。私たち夫婦は、曲がり道や行き止まりといったいろいろな道を通らされたけれども、祈りつつ歩む中で一つとされたように、子育ても祈りによってここまでくることができたと思います。祈ることを教えてくださり、祈ることを許してくださる神様にただただ感謝しています。

<夫として・辻岡健象氏>
子育てする中で、意見の違いに直面するのは現実です。クリスチャン夫婦として大ベテランの辻岡夫妻とチラシに書いていただきましたが、年をとっていますからベテランだということで今日来させていただきました。失敗だらけでしたが、失敗談を聞いていただいたほうが、きっと身になると思っています。
夫婦の役割は、子どもを育てるということですが、ここまでは私の責任、ここからはあなたの責任というのは難しいと思いますし、そうして育った子どもは二重人格になると思います。役割は確かにあるが、論理的に分けないほうがいいと思います。子育てのキーワードは、夫婦の二人三脚だと思います。
私たちの結婚は政略結婚とも言われます。『小さな鼓動のメッセージ』(注・辻岡健象氏著)にも書かせていただきました。夫と妻、男子と女子には違いがあって当然で、そこをどう調整し乗り越えるかだと思います。子育ての秘訣は、子どもと夫婦との人格的な交わりであると思います。日本人には苦手なところであり、それにはことばが大切です。
私は子育てに失敗したと思っています。私は典型的な日本人男性で、いわば化石です。子どもは黙っていても素直に大きくなると思っていました。決して叱らない母に育てられましたが、要所要所をおさえることのできた人でした。だから叱り方を知らなかったのです。教えられたようによりも、育てられたように育つことを知っておく必要があると思います。
私は教員の免許をとりました。けれども、それを子育てに生かすことができたとは思っていません。知識と実践は別だと思います。家内は幼稚園の先生でしたので、理想があったのでしょう。しかし私にはわかりませんでした。ここに、私たちの子育ての悲劇がスタートしたと思います。
私たちの性格や考え方が違うというのは、材質が違うところにも理由があると思います。男性は塵から、女性は骨から作られました。男性は動物的で、女性は繊細で情緒的です。男性は大まかで、女性は綿密です。合わないほうが普通だと思います。そして、育ちの違いがあります。これは一番大きいと思います。私の母は、決して早く起きてとは言わず、朝の新鮮な空気を入れましょうね、と窓を開けてしまうので、朝寝坊ができませんでした。家内は東京で生まれ、東北で育ちましたから、窓は寒さを防ぐものだったようです。窓の開閉ひとつにしても開けるか閉めるか違うのです。いい悪いの問題ではありません。子育てで一番大切なことは、その違いをどう調整し、どう協調し、どう調和させ、どう生かすか、それができれば円満でゆとりのある、他の人を受け入れることのできる子どもが育つと思います。自分の正しさ、自分の主張だけをしていると、子どもにとんでもないしっぺ返しがいくのです。
女性はいのちを生み出す厳粛な性です。男性にはどうやってもできません。そして、神様から与えられたいのちを私物化してはいけないのです。女性が産む性だというのは、不公平ではなく、女性だけができることです。いのちを育てる感動を体験的に、そして神からのものとして知っていくことが大切だと思います。それがあれば、少しくらい間違いがあっても大丈夫だと思います。そして、男性は共にそこに関わっていくのです。男性が協力しないところにいざこざが絶えないのです。日本の男性には苦手なことかもしれません。育った家庭環境、夫としての自覚の不足によります。それが現実です。外国では、男性が当然のようにお客様を接待していますが、それは日本人には苦手なことです。私は、男子厨房に入るべからずで育ちましたし、食事のときには話してはいけない、お客様がきたらおかわりといってはいけない、といわれて育ちました。ですから、今でも家内におかわりといえません。そう育ったので言えないのです。その違いをもって子育てするのですから、お互いに受け入れあうのが大切だと思います。
あるとき、神学校で友達と二人で祈るチャンスがあり、その友人が「家庭を顧みない夫は未信者よりも悪い」と祈ったのです。そのころ私には余裕がありませんでした。けれども子育てに関しては、そういうことはゆるされないと後で思いました。その祈りはⅠテモテ5章8節に基づいていました。ただ、男性は単純だということを、世の女性に理解していただくともう少し家庭が円満に行くと思います。ある友人に、男性が外で華々しくしているその影には必ずよい奥さんがいる、お宅もそうだといわれました。夫婦間の人格と人格との交わりがなければいけないと思います。自分を反省していますが、子どもに「家にいないのがお父さんだと思っていた」といわれたことがあります。男性は、現実を無視して全体を見る失敗があり、それが問題を引き起こすのです。
夫婦も親子もそうですが、こういう人だったのだ、ということが理解され、そのまま受け入れられたときに初めて、その役割を果たすことができると思います。ある家族のセミナーで、夫婦別で話し合いを持ちました。奥さんたちに日ごろのうっぷんを出しましょうといったら、うちの夫は外ではこうだが、うちではまったくぐうたらだ、という話が次から次へと出てきました。共感、感動、興奮、涙のうずで、これ以上盛り上がったことはないくらいでした。その中で、ある牧師夫人が言いました。「私はどれだけ夫を変えよう変えよう努力したかわからないが、あきらめました」これには、とても深い意味があります。勇気のある決断と忍耐がなければあきらめられないのです。愛し合っているとはだれでもいえると思います。しかし、あきらめるとはなかなかいえないのです。愛の章は、寛容からはじまり、すべてを我慢し、すべてを耐え忍ぶ、と言っています。不満があっても耐えていくときに、相手を通して自分が見えていく、そして自分が変えられると、相手も変わる、という面があるのです。違いを受け入れる
こと、欠点は多いが必ず何か長所もあるはず、その長所を見ること、夫も妻も相手の長所を子どもに話す、悪口は言わないこと、これは役割が機能するために大切な点です。違いや欠点をさばきあわないことが大切です。
お互いを通し、また子どもを通し、成長していくものです。今だめでも、あとで必ずこの親子でよかった、この相手でよかったという結論を出すために、あまり細かいことで目くじらを立てずに楽しくすることが大切ではないでしょうか。男性をつぶそうと思ったら、奥さんがけなせばどの人でもつぶれます。反対にほめれば、必ずしっかりしてきます。奥さんは単純な男性をうまく操縦していただければと思います。
最後に、子どもは大人になる予備軍ではありません。大人になったら何になるの、とよく聞きますが、現実を否定していることにもつながります。こどもの今を受け入れてあげることが大事なのです。一人ひとりの人格を大切に育てていくこと、何があっても子どもを信じていくこと、理想を高くせずに現実を一歩一歩歩むことだと思います。

(編集部)
(2005年7月発行No.33掲載)

PDFデータ