今回は、教会主催の子どもキャンプで起こってしまった事故についてまとめてみたいと思います。思い出したくない悪夢のようなアクシデントでした。
そのキャンプには、日頃子どもプログラムに参加したことのない小学生が大勢参加していました。上級生のA君にはADHDの兆候があり、多動と落ち着きのなさが顕著に表れていました。また、中級のB君は、お母さんのBさんがパチンコ・スロットゲームの依存症で、子どもに育児放棄とも言える虐待を繰り返し、見かねた教会員がB君に楽しい経験をさせてあげたいと子どもキャンプに誘ったという経緯がありました。その他、普段は別の教会に参加している兄弟が数組キャンプに参加し、さらに土曜日の体験教室だけに来ている小学生も10人以上参加していました。また、子どもたちの友だちも大勢参加し、私を含めたキャンプのスタッフの誰もが、全員の顔と名前が一致していないような状態でキャンプに突入してしまいました。1泊2日のキャンプで参加者と奉仕者を合わせて64人の大所帯でした。
一日目、最初のようこそタイムから、A君は立ち上がって歩き回ろうとして、一人のスタッフはA君を落ち着かせるだけで手一杯になりました。また、B君は、集会中なのに、叫び出したり、周りの友達をたたいたりし、雰囲気が悪くなりました。教会学校に参加している子どもたちは、雰囲気が全然違うので、とまどって唖然としていました。
昼食の時、先に食事を終えてしまった小一のC君が、仲のよかった小三のDさんと一緒にふれ合いホールに遊びに行きました。そのキャンプ場は、毎年キャンプが開かれ、子どもたちも場所をよく知っていました。しかも昼食後、ふれ合いホールでスポーツタイムが持たれることになっていて、数名のスタッフがホールで準備をしていました。ホールには、可動式ステージが折りたたんで、壁に立てかけられてありました。そこに近づいて、C君とDさんはそれを開こうと動かし始めました。そのステージを卓球台と思い、卓球で遊ぼうとしたのです。
ところが、そのステージは卓球台よりもはるかに重く、Dさんに向かって倒れかかり、Dさんは、目の上から血を流して倒れてしまいました。すぐ傍には、成人と高校生のスタッフがいましたが、何もすることができませんでした。キャンプスタッフの中に看護師がいて、地域の救急対応の病院に付き添って行きました。病院到着後すぐ、目の上を縫う手術がなされ、入院が決まりました。頭がい骨が広範囲にわたってひびが入っていて、血腫もあり、脳に後遺症が残るかもしれない、という診断でした。
Dさんのお母さんは、クリスチャンでしたが、お父さんは未信者でした。お父さんは怒りをあらわにされ、「顔に傷が残るようなら、訴訟も辞さない」とおっしゃいました。私は、1日目の夜のメッセージの担当になっていましたが、ご家族への謝罪のために、急きょメッセージを交代して、病院に向いました。その夜は、スタッフが緊急に集まって祈り、また祈りの友の方々にとりなしの祈りをお願いしました。アメリカ人宣教師が参加しておられ、ワシントンの祈りの輪に緊急の祈りの要請をしてくださいました。祈りのおかげで最悪の事態が避けられたのだと思います。
キャンプ場は市の所有で、毎年使わせていただいていましたが、事故が起きたということで、キャンプ中何回も呼び出され、「事情聴取」や「事故届」「付き添いの責任の有無」など、たくさんの書類を書き、同じことを何度も説明しなければなりませんでした。キャンプに、楽しい企画を盛り込もうということで、マグカップ作りやお餅つきなども予定されていましたが、忙しいことが却って裏目に出てしまいました。スタッフの目が充分に届かなくて、一人の女子が一人ぼっちになってしまいました。とにかく、思い出す中で、最悪のキャンプでした。
キャンプの後、お見舞いとご家族へのおわびのために、スタッフが交代で病院に伺いました。その他、施設の責任者の方との話し合い、保険会社との交渉(旅行保険では二千五百円が限度でした)、市役所での法律相談など、心の切り刻まれるような時期が続きました。
主の憐みにより、後遺症はなく、傷の後もきれいになりました。訴訟の話は出ませんでしたが、教会としての誠意をお見舞い金として表わすこととなりました。Dさんのお母さんは、「主の守りを経験した」と前向きに受け取って赦してくださり、後にDさんが洗礼を受けられたのは、ただ主の憐みです。
キャンプ後、スタッフミーティングを持って、悔い改めの時を持ちました。「奉仕者が少ないのに、定員も決めずに参加者を募集し、能力以上のことをしようとした」「障碍のある子どもを受け入れるのは大切だが、専任のスタッフがいないと無責任になる」「プログラムの内容は少なくても、無理なくできることをするべきだ」「プログラムを進めるスタッフと、全体を見て、裏から支える成人スタッフが必要」「それぞれの子どもについての情報を前もって共有すべき」「旅行保険ではなく自賠責をカバーする保険が必要」「テーマは『愛』であったが、スタッフも祈って送り出されないと愛を持って接することができない」「スタッフが参加しやすい日程にし、キャンプ委員会を立ち上げて慎重に準備する」など色んな意見が出されました。
私は、事故の後、「主よ。なぜですか。足りないながら心をこめて準備し、精一杯お仕えしようと思ったのに、どうしてこんなことが起きてしまったのですか」と祈りながら涙があふれてきました。その時、皆に責められながら、黙って十字架を負ってくださったイエス様のお姿が心に迫ってきました。「わたしの子どもたちを預かってくれて、ありがとう」と神様に声をかけていただいたような気持ちがしました。
どうして、色々なことが起こるかは、わからない。でも、主が責任を負ってくださるので、悔い改めて従っていけばいい。今はそう思います。今は、A君もB君もDさんも私たちの教会からは離れています。まだ神様のご計画の全部が見えているわけではありません。この原稿を書きながら、今初めて気づいたのは、そのキャンプで一緒に奉仕させていただいたスタッフの中に、他教会で牧師として仕えておられる方が三人おられることです。「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない」(伝道者の書3:11)心からアーメンです。
(聖書の光173号)