失敗記の原稿を続けて書かせていただきながら、「こういうシリーズの意味があるのだろうか」と考え込んでしまうこともあります。決して過去のことを後悔しているわけではない。また、読者の方々に「この伝道は止めた方がいい」とお伝えしているわけでもない。失敗を通していただいた祝福をお分かちし、共感していただければうれしいし、少しでも参考になれば、恥をさらした甲斐もあると思います。
14年位前、ミニ四駆が非常にはやった時期がありました。我が家の息子たちも小学校低学年の頃で、好きなモデルを買って改良して、グレードアップしたモーターに変えたり、ギアをつけたり、車体の一部を抜いたりするなど、ミニ四駆作りにはまりました。それで、「家では狭くてコースを組み立てられないので、教会で大きなコースを作ってミニ四駆大会をやったら」とひらめきました。
さっそくコースを4セット買って、それなりに変化に富んだコースを作る準備をしました。「ミニ四駆を作ろう会」をして、工夫をこらして自分なりに気に入ったモデルを作りました。それから公園でちらしを配って、ミニ四駆大会の宣伝をしました。
大会当日は、十数人の男子が集まったと思います。半分位は、教会に全く初めて来た男子でした。普段は女子の方が多いので、男子プログラムとしては、ヒットだったような気がします。近所のご婦人がお孫さんの付き添いで初めて教会にいらしてくださったことを覚えています。参加者の中に4年生のS君もいました。
S君は、1年生の時、教会学校に来ているMちゃんと同じクラスで席が隣同士でした。元気一杯のS君は、Mちゃんのくつを隠したりして、Mちゃんを困らせたこともあったそうです。そういうS君のいじめに耐えられなくなったMちゃんが家に帰って「学校へ行きたくない」と言うと、お母さんは、「いじめられた時には、イエス様の十字架のことを思い出してごらん」とやさしく諭されたそうです。それで、Mちゃんはお祈りして、意地悪に対して親切を返そうと決心しました。Mちゃんのいじらしい気持ちに気づいた担任の先生が「クラスで一番やさしい人は誰?」と聞いたそうです。クラスの友だちがMちゃんを推薦し、Mちゃんがクラスの「親切大賞」に選ばれたことを聞き、感動したことがありました。
それから3年、クラス替えで別のクラスになり、すっかり忘れていたのですが、そのS君がミニ四駆大会の日に、初めて教会に来てくれたのです。私は、「神様はMちゃんのお祈りを覚えておられた」と、すごく感激したのを覚えています。
大会自体は、正直に言って余り記憶にありません。予選、2回戦、3回戦、準決勝、決勝のように進めていったと思います。やはり、実力に差があって、すごく凝ったモデルを持って来た子たちが圧勝して、初めて組み立てた子どもたちとは勝負にならなかったと思います。でも勝ち負けは別として、大きなコースで自由に走らせることができて、みんなで楽しく遊んだ思い出があります。ショートメッセージに耳を傾けてくれたのも感謝でした。
ところで、どんなに楽しくても、ミニ四駆のコースをそのまま出しっぱなしにしておくわけにはいきません。「またいつかやろうね」と箱にしまったわけです。ミニ四駆のコースの組み立てと片付けはプラレールと比べ、はるかに手間がかかり、結構大変だったので、「いつか」の機会がないまま、屋上の物置にしまいっぱなしになりました。ミニ四駆大会に来てくれた子どもたちは、教会のCSや他のプログラムに来てくれることはありませんでした。
そのうち、ミニ四駆はあっという間にはやらなくなり、完全に廃れてしまいました。それからベーゴマがはやったり、ベーブレードのブームになったり、ハイパーヨーヨーが出てきたりと、次々と新しいおもちゃが流行しては消えていきました。子どもイベントにもその時々の流行の遊びを多少取り入れました。
6~7年位前、ミニ四駆ブームが一時的に再来したことがありました。「夢よもう一度」と、体験教室でミニ四駆大会を計画しました。あのコースを再び取り出して組み立てて見たら、コースのジョイントの部品がなくなっていて、何かで代用した記憶があります。とにかく準備に使った時間が大変でした。
結局、ミニ四駆レースのコースは2回使ったきりで、今も屋上の物置にあります。毎年、「邪魔だから捨てようか」「捨てるのは勿体ない」と大掃除の度ごとに考えてしまいます。あのセットは無駄だったのか?正直考えてしまうこともあるのですが、無駄を計算し始めたら伝道はできない気もします。あの時、たった一回教会に来て、メッセージを聞いてくれたS君のような子どもが、いつかまた教会に行く機会があって、救われたら、それだけでも十分の価値があったと思います。
振り返ってみると、子育て中は、どんなおもちゃがはやっているのか一番近くで見ることができる特権が与えられていて、それをすぐにミニストリーに活かせたのは感謝だったと思います。子どもたちが成長してしまった今、どんな遊びがはやっているのか、余りよくわかりません。ゲームの種類がどんどん増え、他の遊びが減っているのかもしれません。また、自分のエネルギーも減ってきて、遊びに夢中になれなくなっていることに気づかされます。
だからこそ今思うのは、すごいミニストリーを連続して計画しようなどと気張らず、自分の子どもが好きなことを、よそのお友だちも呼んで一緒に遊んで、楽しんでもらうことが仲間作りの第一歩だと思います。結局何をやるか、ということはそれほど大きな問題ではなく、主の愛を自然な形で分かち合うということがポイントなのでしょうか。
(読者の皆さんの教会で、ミニ四駆レースを希望されている方は、お声をおかけください。)
(聖書の光 168号)