1.企画のきっかけ
中高生の奉仕に召されて数ヶ月、大きな壁にぶつかった。学生というとチャレンジ精神にあふれていて手のつけようがない元気な中高生を想像していたが、現実は全く違っていた。それは与えられる中で育ってきた彼らにはハングリー精神がなく、日曜の朝出会う彼らはいつも疲れていた。もちろん、思春期という難しい年代であったり、学校生活でのストレスなども彼らが解放的になれない理由であることは理解していた。しかしそれだけが理由ではないように思えた。それは何かに一生懸命になる情熱の欠如と他者への関心の無さである。私が決定的に危機感を覚えたのは、クリスマス会に近隣の教会の中高生と合同でやろう!と持ちかけると、彼らは「知らない人はいやだ。それならクリスマス会にはいかない」との意見を聞いた時である。まさしく伝道どころのレベルではなかったのを感じた。
私は彼らにどう関わっていくべきなのか、真剣に祈りはじめた。すると、主は今まで盲目になっていた私の目を開いてくださり、今までに増して世の中の中高生の姿や言動が目につくようになった。ある早朝カラオケの前でたむろしている高校生に出会った。彼らは特別何か話している訳でもなく、携帯をそれぞれがいじり、ただ空間を共有しているだけであった。あてもなく時間を浪費している彼らが本当に哀れに思えた。その時主はマタイ9:36また群集をみて、羊会のない羊のように弱り果てている彼らをかわいそうに思われた。を語ってくださった。そして、この日本の中高生と東南アジアをいくつか旅行する中で、必ず出会う道端に座り目がうつろな人々が重なって映った。後者は食べるものがなく、栄養失調ゆえに力を失っている。しかし前者は住む家もあり、食べるものもあり、学ぶ環境もあり、全てのものをもっているが、生きる目的がわからないゆえに力を失っている。そんな彼らの中に送り込まれている教会の中高生は本当に光であり塩であり愛しいという思いが与えられた。
大人への準備をするとても大事な中高生という時期に、生きて働く神様をたくさん体験して、弱り果てている世の中高生にイエス様のことを紹介してほしいというビジョンが与えられた。そして具体的には、彼らを信仰者としてたてあげる為に私ができることを祈り求める中で今回の企画が与えられたのだ。とにかく世界をみて、自分達のポジションをまず確認し、そこから何か感じてほしいというのが動機であった。
以上のように振り返ればプロセスがあったのだが、この時はただ純粋に中高生に神様を体験してもらいたい→私のボキャブラリーではセブ島だったので、スタッフと役員に提案したのだった。
2.スケジュールとその実際
参加者:中学生7名、高校生4名 スタッフ6名(現地には行かないがサポートしたスタッフ4名 伝道師1名)計17名
行く前から子供達のモチベーションをあげられるような企画をつくったほうがよいと牧師からのアドバイスを受け、約2ヶ月に渡って、手作りのお菓子などを売っての献金活動や、現地で披露するだしものの準備、前日に教会でプレキャンプなどの実施をした。(実はこれらがスタッフにとって一番大変だった。)
計画の段階では暑い国なので時間的余裕をもて10日間を予定していたが、牧師からのアドバイスで、「フリータイムを極力減らし、短期間で濃厚なプログラムの方が中高生にとってはよい」とのアドバイスを受け7日間で設定した。現地での礼拝を中心におき土日を挟んで日程を設定し、プログラムの内容は同年代の現地の人々との交流を意識したものにした。
そして毎朝全員でディボーションをもち、夜には賛美と祈りと感想の時間をもち霊的な交流の時間をもち、普段とは違ったお互いの一面を知るよい時間をもった。またクリスチャンスクールや野外子供集会、地元の公立高校においては、ボディ-ワーシップや賛美、日本文化紹介(女子:花笠音頭、男子:手品、高校生:日本文化と祈祷課題をパワーポイントでプレゼン)を行った。
具体的なスケジュールは以下の通りである。
4日 夜到着
5日 クリスチャンスクールの生徒とスポーツ大会、市内見学、
海の上で生活する人々を訪問
6日 野外子供集会参加、海
7日 子供礼拝、中高生礼拝参加、市場見学
8-9日 山の上にある教会を訪問しそれぞれの家庭(高床式の家)に滞在
洞窟体験、地元の公立の高校生との交流
10日 朝出発
帰国1週間後に、教会で証の時間をもった。
3.中高生の変化と今後のビジョン
それぞれが神様を体験していた。この企画を通して離れていた中高生が参加をきっかけに中高科に回復。更に、一人の高校生は伝道をして、友人を中高科に招いてきた。
何より中高科の雰囲気がかわった。難しい年代なので、表面にはでにくいが、彼らの中に火が灯されたのを感じている。4人の中高生が洗礼を受ける準備にはいった。
今回の企画で獲得してほしいことや、目的、期待はたくさんあったが、私としてはそれぞれが、神様を体験できたら成功であったと思う。
この企画は始まりであり、今後彼らがクリスチャンとして喜びをもって生き、生きる目的を失っている友達を憐れみ、イエス様を紹介せずにはいられない一人一人になってほしいと祈っている。
最後に現地で支えてくださった日本人宣教師や現地教会の存在は欠かすことができなかったものである。逆にそれがなければ、教会独自での企画は成り立たなかったと思う。また、参加する子供の人数に匹敵する青年スタッフ達の献身と協力も必須であった。
(2006年3月発行No.34掲載)