今年、私たちは二つの教会を立ち上げました。ひとつは特別養護老人ホームの中にある教会です。単なる老人ホームのチャペルではなく、近隣の人々へ福音を宣べ伝える教会として、子どもから、青年、婦人、壮年、そして老人までがいる教会としてです。
もうひとつは、中学生と高校生だけの教会です。教会の名前はユース・ネーションと付けました。それは中高生がもつ独自の文化、すなわち彼ら独自の世界に、中高生自身が福音を伝えていくとの理解と祈りを込めて、彼ら自身がそれを選び取りました。
このユース・ネーションは2004年9月5日の聖日礼拝から始まりました。毎週50~60人の中学生・高校生が集まり、私たちの主なる神様に礼拝を捧げています。ひとつの教会ですので当然のこと聖餐式も彼らの中で持たれています。また、伝道、教育、訓練も行われています。
1.グレース宣教会について
2004年9月現在、14ヶ所で礼拝をしています。しかし、教会はひとつの教会であって、15名の牧師と伝道師でひとつの牧師チームを作っています。各牧師は担当チャペルを持っていません。教会会計もひとつです。分担金もなければ、予算からの分配金もありません。14ヶ所の礼拝ですが、時には4つだけで合同した礼拝を持つこともあれば、大阪・奈良にある12の礼拝を、八尾市にある大聖堂で合同礼拝として行うこともあります。その根底には単なる協力ではなく、分離できない共生としての理解が貫かれています。教会としての宣教や建徳、そして人事や会計に、この共生を実践しているのです。
2.ユース・ネーションの始まり
この共生の信仰生活の中で、若い人たち、特に中学生・高校生への伝道と教育について危機意識がありました。これは最近の日本の教会全体が感じ取っている現実です。グレース宣教会もその意味では同じです。だから、中学生・高校生への伝道・教育・訓練・派遣を考える中で、彼ら独自の世界に入り込める教会を作る必要を覚えたのです。
3.中学生・高校生の特徴
一人の人生の中で、中学生の時代、高校生の時代は激動の時期です。私自身の経験や、まわりのクリスチャンの経験からしても、高校生時代に信仰に導かれ、やがて牧師・伝道師になったという人々が多くいます。しかし、これは30年前までのことです。現在は中学生・高校生が皆無という教会もあります。それは彼らのところまで私たちが届かないという現実があるからです。けれども同じ文化・世界に住む中学生・高校生自身は違います。彼らはもうすでにその独自の世界に住んでいるのです。この年代は大人や親の影響より同年代・友だちの影響が大です。しかも人生の激動の時代ですから、彼らの知らなかった福音の価値観を、同じ中学生・高校生の仲間が伝えてくれるとき、彼らは心を開くのです。
4.ユース・ネーションの宣教と教育
『全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい』マルコ16:15
この御言葉に押し出されて、「中高生の、中高生による、中高生のための教会」が生み出されました。日曜日の聖日礼拝だけでなく、教会の活動として、土曜日午後にはファンタスチック・サタデーのようなイベントをして友だちを誘っています。時にはシーカーズ・サービスのようなこともします。水曜日もしくは木曜日の夜には、クリスチャン家庭の中高生は両親といっしょに祈祷会に出席します。また、彼らの中で4~5人でひとつのグループが作られていて、それは祈り合う仲間であり、互いに世話をする仲間であり、互いに分かち合う仲間として、信仰生活を共生しています。更に、中高生の特徴としての勉強があります。教会に来ていっしょに勉強をして、上の学年の者が下の学年の者の勉強を教えたりします。これらの活動を通して、伝道と成長と訓練と派遣のステップを登っていくことになります。高校を卒業する時には、グレース宣教会の各チャペルに、群れを導くための僕リーダーとして派遣されていく事をめざしています。そして、地域を越えて世界に遣わされるクリスチャンをめざしています。
5.ユース・ネーションの実際
今、彼らは伝道に燃えています。毎週礼拝には新しい友だちが来ています。若い彼らだからこそ、賜物が発見され、それを訓練されています。賛美に力があります。自分たちの言葉と情熱と信仰とで、心から主の素晴らしさをほめたたえています。礼拝と奉仕と生活にエクセレントを求めています。なぜならイエス様は神様からの私たちに対する最高の贈りものであることを知ったからです。現代社会の中で、しかも若者文化の中で、彼らは聖さを求めはじめました。もちろん今までも教会の中で中高生スタッフは同じことを語り、伝え、教え、チャレンジして来ました。しかし今、それらを自分たちが主体となり、同年代の群れの中で「一緒にやれば、うまくいく」を合言葉に、互いに互いを牧会し始めているのです。
6.まとめ
たしかに若さ故の弱さ、弱点も多くあります。大人から見ているとひやひやするところもあります。しかし、彼らがキリストの体なる教会を建て上げる一人一人となっているとき、神ご自身が彼らを更に整えてくださると信じています。そしてこのユース・ネーションが、グレース宣教会全体を建て上げる大きな働きとなり始めていることを感じています。私たちの願いと祈りはただひとつです。それは神様の栄光が表されることだけです。そのためには何でもするという信仰から出たフレキシブルとチャレンジがあってもよいと確信しています。これが教育の分野でいつも実践されるなら人と教会は必ず変えられます。
(2004年12月発行No.32掲載)