恵泉女学園は、ミッションスクールではありません。海外のミッションボードによる経済的な支援から生まれた学校ではないからです。明治時代に生まれた河井道という一人の女性が宣教師と出会い、日本人の信仰者の計(はか)らいでアメリカに学びます。戦争の時代にあって「世界に向かって心の開かれた女性を育てなければ戦争はなくならない」と考えて創立されたのがこの学園です。河井道先生52歳の時です。創立時に、「聖書」「園芸」「国際」を教科に加えたユニークな学園でした。そして、この理念に賛同する多くの方々の寄付と祈りによって今日まで支えられてきました。
信仰に導いて下さった宣教師のように、河井先生は生徒の魂の救いに重荷を負っておられました。毎日の礼拝で御言葉を語り、卒業する時に行われる修養会では、必ず一人ひとりと面談して、信仰を持つように強く勧めていました。生徒の受洗の日時を聞くと、どんなに忙しい時でも最優先で、受洗する教会に駆けつけ、公に信仰告白をした生徒を祝い、御自身も大変喜んでおられました。

学園も現在は、中学と高等学校を合わせると生徒数は1100名を超える規模に成長しましたが、毎日の礼拝と各学年の聖書の授業、そして最終学年での修養会も行われています。全校で毎年4、5名の受洗者が与えられ、クリスマス礼拝で記念の聖書が贈られます。入学試験での面接では、生徒と保護者の方にキリスト教教育の理解と協力を確認します。入学後直ぐにキリスト教の基本を理解していただける様に「キリスト教ハンドブック」を家庭に配り、生徒には最寄りのプロテスタント教会を紹介します。日曜日には、地域の教会の礼拝にできるだけ出席してもらいたいからです。初めて繋がる教会には、学校からの紹介状を生徒に渡します。また、学校から保護者の方に「教会紹介について」という印刷物を、日曜日に教会の礼拝に出席できるよう、ご家庭でも協力していただきたいことを改めてお願いします。しかし教会出席は「課する」ものではなく「奨励」するものであって、生徒と家庭の意思を尊重しています。

2011年度から教会に出席する中学生は、教会出席カードを持参することになりました。教会の牧師または日曜学校担当者に日付とサインをもらうことになっています。サイン欄がすべて埋まると学校からプレゼントがもらえるのです。1枚の出席カードには13個のサイン欄と楽しい絵が描かれています。1枚のカードが一杯になると次々と別の絵のカードが用意されています。4枚貯まると1年間通ったことになります。生徒は、プレゼントもそうですが異なった絵の描かれた教会出席カードが貯まることをとても喜んでいます。
1年生は、クラス単位で年に2度近隣教会を訪問します。教会に少しでも慣れてほしいからです。課外活動の聖歌隊とハンドベルは、クリスマスの時期を中心に教会で奉仕をさせていただいています。特別礼拝(イースター、母の日、感謝祭、クリスマス等)では牧師をはじめ、なるべく多くの教会関係者をお呼びして、御言葉からのメッセージを語っていただいています。昨年度(2012年度)の資料では、毎週教会に行く生徒は、1年生で1割、高学年になると残念なことに減少していきます。1年生から5年生(中1から高2)のうち、洗礼を受けている生徒は31名(全体の3.3%)、一度も教会礼拝に出席したことのない生徒は126名(13.3%)でした。何らかの形で教会に行った事のある生徒は、それでも86.7%います。

このような事情を鑑み恵泉では一年に一度6月に「牧師・教会関係者との懇談会」を開いています。今年は、48名の牧師と日曜学校教師の方が参加して下さいました。テーマは「キリストにつなげる―教会ができること・学校ができること―」です。ここ数年このテーマは変わっていません。月曜日の夕刻にお集まりいただき、開会礼拝後、教会側と学校側からそれぞれ1名の発題があり、小グループに分かれての話し合い、まとめの全体会となります。今年は、教員と日曜学校の指導者を兼ねている者が発題しました。
学校ができることは、礼拝出席の奨励、聖書の学び(授業)、毎朝の礼拝、組織的な奉仕活動、教会紹介、讃美歌指導、他。教会ができることは、礼拝、牧師との関係つくり、受洗への導き、聖礼典への立ち会い他。教会と学校の棲み分けではなく、共有できる事柄もあります。それぞれが様々な課題を山ほど抱え悩みながら苦労していることがわかります。
グループ討論で出た興味ある意見として、このようなものがありました。外国人の牧師からです。「日本の教会は忙しそうで、人を集めるイベントを行うことでエネルギーを消耗しています。大切なのは、生徒を導くクリスチャンの一人ひとりがしっかりとイエス・キリストに結びついていることです。大切な役目を自覚するなら、自分自身の霊的な成長に関心を払わなければなりません。成熟した木が、豊かな実を結び、その実を食するために多くの鳥が自然に集まるのです。イエス・キリストとの結びつきの強さこそ生徒を集める秘訣なのではないでしょうか。」ということでした。関係者が一同に集うことで問題点が共有され、互いに励まされます。同じ目的を持った信仰の友が集うことに意味があるのです。

今年、中学に入学した生徒の感話(感じたこと、考えたこと、思ったことを言葉で書き表す)をご紹介します。
『恵泉に入学して(中略)今までと変わったことがあります。それは「自分の心が落ち着く」ことです。恵泉では毎朝礼拝があります、初めて礼拝を経験したのは受験の日です。讃美歌や聖書など新しく聞く言葉にも興味がありました。そして、なぜか礼拝をすると心が落ちつき不安なことなど忘れていました、多分受験の時にも礼拝をして不安や焦りなど忘れたので、今恵泉で楽しい学校生活を送っているのだなと思います。
そしてもう一つ今までと変わったことがあります。それは「神様を信じる」ようになったことです。今までの私は神様など作り話だと思っていました。でも私は、受験前にお祈りして以来神様はいるのではないかと思うようになりました。母が言っていました。「あなただけの力ではないのよ。神様のおかげでもあるのよ。」と。
校長先生が言っていたことにも感動しました。「神様があなたたちを選んだのです。」この言葉を聞くと、本当に神様がいるのかもしれないと思います。 恵泉に通っていると今まで感じなかったことや気にしていなかったことにも気付かされます。』
主の御名をほめたたえます。これこそ、礼拝に臨在する神様の力です。このような生徒を何とか教会に結びつけたいのです。
卒業生から頂いた手紙をご紹介します。
『私は中学の時キリスト教主義の学校に入学し、高校3年生の時教会で洗礼を受けました。神様を信じ喜びに溢れていたのに何年かしてからだんだん教会から離れてしまいました。私は健康的にも家庭的にも経済的にも比較的恵まれた環境で育ち、やがて優しい夫と二人の子供に恵まれました。
しかし、娘は中学生の頃、心の病を発症し大学に入学して間もなくその病は重くなりました。病院に半年の入院を余儀なくされました。私は、ただただ娘に申し訳ないことをしたと自分を責め続け、娘は「死にたい。」と何度も言っていました。
やがて家での生活が始まり家にこもっている娘に「どこか行きたい所はないの?」と聞くと「教会に行きたい。」と言いました。小学校の時教会の日曜学校に通っていた事があります。しかし私は正直言って行きたくなかったのですが渋々娘に付いて礼拝に出席しました。
牧師先生のお祈りは「心に弱さを覚えている人がいたら、その一番深いところに触れて下さり、慰め癒して下さい。」という内容でした。涙が止まりませんでした。先生とはまだ一度もお話しした事もないのに私達の為に祈って下さったではありませんか。また、礼拝で歌われた讃美歌も90番で私の中学入学式で歌われたもので二重の感動でした。その日から毎週娘と礼拝に出席し娘は洗礼を受けました。そのころ息子も出席する様になり一年後大学生の時洗礼を受けました。神様は娘の病を通して私をもう一度教会に導いて下さり、信仰を与えて下さり祈る事を教えて下さいました。』
神様は教会と学校を御自身の手足として、福音を本当に必要な人たちに用いておられることがわかります。逸(はや)る必要はないと思います。良い結果を出そうという焦(あせ)りもいらないのです。また、集まる人数を誇ることでもないと思います。一人を真剣に導く熱意と祈りだと思います。そして、待つことです。私たちは、種を植え水を注ぐ存在です。弛(たゆ)むことなく、諦(あきら)めることなく、種を蒔(ま)き、水を撒(ま)くのです。恵泉の校歌にこのような一説があります。「沙漠(さばく)に花を咲かしめなんと」 教育も魂の救いもこの一言に尽きるのではないでしょうか。労苦が徒労で終わることは決してありません。むしろ労苦を喜ぶものになりたいものです。
「自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそ神の賜物である。」(伝道者の書5章19節
後半)

(2014年1月発行No.44掲載)

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