Windows95が爆発的に売れ、家庭にパソコンのあることが当たり前になった1995年、今の大学3年生たちは生まれました。また東日本大震災でFacebookといったソーシャルネットワーキングサービス(SNS)が大いに注目された2011年に中学生か高校生だった世代が、今や大学生になっています。
私はキリスト者学生会(KGK)の主事として学生たちに接しますが、自分が大学生だった時には考えられなかったようなITの技術を彼らはごく自然に用いています。しかも彼らは同世代が当然のように使うITを用いて福音宣教をし、またITを用いて信仰を励まし合います。そこで、各地区のクリスチャン学生に対して行ったアンケート結果を用いつつ、彼らが普段どのようにITと接しているのかをお伝えできればと願っています。(なおアンケートには142名の学生が答えてくれました。)

1.日常生活でのIT事情
まず、学生たちが日常生活でITをどのように利用しているかについてです。「あなたが利用しているIT機器は何ですか?」との質問を学生にした結果、スマートフォンと答えが学生は94%にのぼりました。ほとんどの学生がスマホを持っていると言えるでしょう。
次に「他人との連絡手段で利用するツールは何ですか?」との問いに対して、実に97%の学生がLINEと答えました。続いてFacebookが77%、eメールが71%でした。圧倒的にLINEが使われています。そして、かつてSNSといえばmixiといったような時代もありましたが、今回のアンケートでmixiを使っていると答えた学生は0人。存在すら知らない学生がいたことには驚きました。
Facebookも多くの学生が利用しています。ただ最近では、Facebookの22歳以下の利用者が激減し、代わりにInstagramが伸びています。その理由としては、Facebookは個人情報が多すぎること、また楽しげなことを投稿できるリア充(恋人がいるなど現実の生活が充実している)向きで、そうでない自分はTwitterでつぶやいているくらいが楽でいい、といったこともあるようです。またプライベートの情報をどんどん流すので、親がFacebookを始めたのを機にやめることもあるとのこと。実際、ある大学1年生の学生がいうには「Facebookをやっているのはだいたい大人、もしくはクリスチャンの友達」だそうで、クリスチャンの間でFacebookの利用者が比較的多いという現状はあるようです。
Twitterを楽しんでいる学生も多くいます。ディズニーの音楽を聞くことが趣味だというある学生は、Twitterの魅力をこう語りました。「スマホの画面を自分の好きな情報だけで埋めることができる」。Facebookなどは比較的自分には関心のない情報も入ってきますが、Twitterだと自分が知りたい情報だけを流してくれる人のフォローをすることで、自分が聞きたくない情報はキャッチせず、自分の好きな意見だけ受け取ることができるのです。ただそのことの危険性も彼は自覚していました。「現実の世界には自分とは違う意見を持っている人もいる。自分が賛同する意見だけを言う人が集まるこのコミュニティが、世界の全てだとは思わないように気をつけている」。より同質な意見だけを受け取れることの特別さを意識する節度が求められるということのように思います。

2.福音宣教とIT
続いて、クリスチャン学生たちが福音宣教においてどのようにITを用いているかです。
近年、大学内における宗教団体による布教活動を禁止とする私立大学が増えています。KGK学生が数人集まって聖書研究会を公認サークルにしたいと思っても、それが許されないケースがあるのです。背景としてはカルトの問題があります。特に4月などの新入生歓迎シーズンになると、学内のいたるところに「カルトの勧誘に注意」との張り紙が。結果的に、ポスターを貼るなどして学内の学生に広く聖書研究会の存在アピールすることができません。そこで学生たちが聖書研究会の存在をアピールするのに用いているのが、ホームページ、Facebookといったツールです。ネット上の情報を通して情報を知り聖書研究会に足を運んだという学生は多くいます。
ある学生は、Twitterを用いたアプローチを試みました。彼は大学で伝道集会を企画しました。そのとき彼は、なんとか大学の人に届いていきたいと思い、Twitterで自分の大学をフォローしている全く面識のない人たちに、伝道集会の案内を送ったのです。彼は嫌われるかもしれないということを覚悟して、170人もの人に案内を送りました。すると、なんと4人から参加したいという返信が来ました。そして当日、風邪で休んだ1人を抜かして3人の新しい学生が集会に足を運んでくれたのです!学内のメンバーたちが、神様の福音を聞く学生が起こされたことに大きな喜びを覚えたのはいうまでもありません。
またある大学の聖書研究会に集っていた女子学生は、なかなか友達にイエス・キリストの福音を語ることができないでいました。すると彼女は、Facebookを通して友達に証しすることを思いつき、聖書研究で自分がどれだけ恵まれたかを書き続けたのです。聖書の深さ、キリストの愛、仲間の素晴らしさ。するとそれを読んでいた未信者の友人が聖書に興味を持ち、ついに聖書研究会に足を運んでくれたのでした。彼女が初めて聖書を開いたその日、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」との御言葉を聞いて、未信者の彼女は涙をボロボロと流しました。それから彼女は翌日の教会の礼拝に初めて出席し、聖書研究会にも顔を出しています。Facebookを通して自分が信じていることを届けていくとき、それを読んで御言葉に触れられる学生が起こされることもあるというのは、大きな励ましです。私たちはどこかの偉い人の言葉ではなく、信頼できる友達の声を信用するものです。それゆえ、Facebookは信頼できる友達が本気で語る言葉として友に届いていくのだなと思います。
このようにTwitterやFacebookといったツールを使っての伝道の試みによって新しい未信者とコンタクトをとれるケースもあります。しかし実際の数としてはあまり多くないのも現状です。クリスチャンであっても未信者であっても、新しい学生はホームページやブログを見て聖書研究会に訪れる方が多いと感じます。その理由は、ホームページの方がFacebookなどよりも不特定多数に向けたオープンなものであり、公共性が高いからでしょう。クリスチャン同士の深い交わりにはFacebookなどが適していて、より広くオープンに存在をアピールするものとしてはホームページが用いられるように思います。

3.互いの交わりや信仰の励まし
続いて、クリスチャン学生同士がITを用いてどのように交わりや信仰の励ましをしているかについてです。
ある学生は「デボーションの分かち合いをLINEですることでデボーションが豊かになり続いている」と分かち合ってくれました。どんなことをしているかというと、二人で同じ聖書箇所を同じ時間に読み、そこで感じたことをLINEで送るのだそうです。用事などがあって少し時間がずれた時には、先に送られてきた分かち合いを読んで恵まれ、聖書を読んで恵まれる。とても麗しい交わりです。
離れたところにいて会えない仲間の報告を知ることができるのもSNSのメリットでしょう。例えば友達のために祈っていたことについての報告をFacebookで受け、とても励まされたとある学生は教えてくれました。友達の悩みを聞くことで、自分だけが悩んでいるのではない、との励ましを受けることもあります。そして特に、何気ない日常生活の中での証しを聞いて信仰を励まされると語ってくれる学生が多いのが印象的です。とかく教会での自分と平日の自分とが分離しやすいように思うのですが、友人の日常生活の中に神様が働いてくださっていることを覚える時、いつも共にいてくださる主の恵みを深く知るのです。
Skypeが登場したのは10年以上前ですが、複数人が無料で使える通話ツールによって学生たちも助けられています。同じ大学でもキャンパスが遠く離れている学校では、Skype祈祷会をもったり、Skype聖研をもったりもします。またSkypeは会議で力を発揮しています。KGKでは、北海道から沖縄まで各地区から選出された学生が集まって会議をします。かつては春と秋、年2回の会議の機会だけだったのですが、今はSkypeを用いて月1回の補助的な会議もできるようになりました。もちろん顔と顔を合わせるのに勝ることはありませんが、地域的な広がりのなかで時間的・経済的な課題を超えて会議できるのは感謝なことです。特に短期留学など、海外に行く学生が増えているなか、いろいろな委員会が場所的な制約を受けずに話し合えるのは大きな利点です。ただ気をつけないと時間を忘れてしまい、気づくと夜が開けていることも…。議題と終了時間を最初に確認することは必須です。
キャンプでの光景もだいぶ変わりました。賛美チーム奉仕者が奏楽練習をするとき、私が学生の頃は楽譜を郵送かFaxで受けました。しかし今や楽譜はPDF、音源はYoutubeです。またキャンプの別れ際の光景も変わりました。住所を聞いて「写真送るね〜」と言い合ったり、メールアドレスや電話番号を交換するといったことではなく、LINEのIDを聞くか、帰ってからFacebookで友達申請をして写真はアルバムで共有、という感じです。
それにしても、SNSを利用する時間が3時間以上と答えた学生が17%、2時間以上という学生は実に4割というアンケートの結果を見て、改めて学生がSNSに時間を割いていることを思わされました。ある学生は、電車に乗っている時や授業の空き時間など、時間さえ空けばTwitterをチェックしていて、「自分はSNSに依存しているかもしれない」と言いました。そして本はほとんど読まず、信仰書もまったくと言っていいほど読まないとのこと。学生たちが信仰を養うために本を読むことは大切なことです。「読書の秋に信仰本を読もう」、そう学生たちにアピールしていきたいなと思わされます。

終わりに
ここまでクリスチャン大学生のIT事情についてともに考えてきました。教会の中には、自分たちはIT世代ではないから大学生たちのことが理解できない、関わってできることは少ないと思っている方がおられるかもしれません。確かに、実際教会で出会う最近の学生の中には、話をしたりすることが得意でなかったり、歩み寄ってもあまり深い交わりができないこともあるかもしれません。しかしそれは慣れていないだけで、心の中では喜んでいるという学生は多くいます。学生自身は本質的に人格的な交わりを必要としているからです。ITの恩恵も用いられ、人と人との深い関わりが築かれていく。そのような歩みが開かれていくなら、本当に素晴らしいと思うのです。

(2015年2月)

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