始まりは、あるママの切実な叫びでした。ご主人は信者ではなく、頑張ってママ1人で3人の幼い子どもたちを連れて礼拝に出席していました。子どもたちがずっと静かにしていることはあり得ないので、大きな声が出たり泣いたりするたびに、周囲からの視線を感じてさっと礼拝堂を出ます。ほとんど椅子に座ることもできずに子どもたちを出して入れて追いかけて一時間半の礼拝が終わります。何のために来ているんだろう。私だってみことばを聞きたい。彼女が素晴らしかったのは、あきらめずにその願いを神様のもとに、人々のもとに、携えて来たことでした。こうして幼い子どもを持つママ数人が集まり、子どもと一緒の礼拝について学び、祈る時を持つようになりました。最初に読んだ本は、伝道師から紹介された『あの説教、いつ終わるの?』。題名から想像できる通り、子どもにとっては苦痛でしかない「オトナの礼拝」の時間を、子どもが礼拝者へと成長する場に変えていく、知恵に満ちたアドバイスが満載でした。これを読み、互いの家族や子どもの状況を分かち合う中で、私たちの願いが一つになっていきました。それは「子どもたちがいつの日か、自分の口で主は救い主であると告白する」というものでした。それをゴールにしたとき、私たちは今、何をしたら良いのか、共に考えるようになりました。

この願い、この祈りが、のちの「ママいの!」の柱となりました。教職者や教会役員にも私たちの願いを共有し、これが教会全体の願いとなるように協力していただきました。親たちは礼拝の前に子どものトイレを済ませ、教会学校から続けて出る場合には小腹を満たし、水分補給をする。音の出ないおもちゃを準備する。泣いたり我慢できなくなったりしたら早めに外に出る。子どもの声や物音が気になる人は、子どもから離れた前方の席に座る。その日の讃美歌や主の祈りなどがまとめられた子ども専用の礼拝ファイルを作り、1人1人に持たせる。子どもからお年寄りまで共に主の家族であることを喜び、互いに仕える。どんなに幼い子どもでも、主の臨在に満ちた礼拝の空間の中で、多くの方に見守られ、成長していきます。その姿を見ることが、親にとっても教会全体にとっても喜びであると感じています。近年は月に一度、礼拝説教の前に子ども向けの短いメッセージが語られ、子どもたちは前に出て床に座ってお話を聞きます。初めて来た子連れの方にも「ベビーカー
でそのままお入り下さい、お子さんにはこのファイルをどうぞ、子どものお話もありますよ」と自然に声をかけ、子どもを迎える教会であることを、自信を持ってお伝えできるようになりました。

ママたちの祈りと交わりはその後も続いています。始めるきっかけを作られた姉妹は遠方に引っ越し、フェイスブックで互いの家族の歩みを共有しています。教会では数年前から、コイノニア活動という小グループの交わりがスタートし、「ママいの!(子育てママの祈り会)」と名付けた私たちの集いも、その一つとなりました。仕事や子どもの行事や習い事に追われる中、予定を合わせるのは難しいですが、現在は月に一度、日曜の午後に集まっています。お世話係からメールで呼びかけるメンバーが10人、そのうち出席できるのが毎回4〜5人です。子どもたちは、乳児のうちはママと一緒にいますが、少し大きくなると教会内のどこかで誰かと遊んでいてくれます。多くの方の協力あっての「ママいの!」であることを感謝します。

「ママいの!」は約1時間半。前半は学びの時で、グループ聖書研究の手引きを使ったり、聖書に基づく子育ての本を読んだりし、思ったことを分かち合います。毎回不思議と、出席している誰かの必要に合ったみことばが与えられます。最近は、家族でできるデボーションのアイディア集を読んで、そのどれかにチャレンジすることを「宿題」にし、次回にそれを報告し合いました。後半はそれぞれの祈りの課題をあげて、お祈りします。子どもたちが幼児、小学生と成長するにつれ、子育てのテーマも応用編に入ります。子どもの人間関係や進路など、相談でき祈りあえる仲間の存在に幾度となく助けられています。教会にお誘いしたいな、と思うママ友がいたり、病気やクラスで辛い目にあっているお友達がいたり。そんな祈りの課題も、「ママいの!」には登場します。名前をあげ、心を合わせてとりなしの祈りをささげる時に、ともするとハードルが高くなりがちな「隣人への伝道」を私たちが自然体でできるように、神様が励ましていて下さるのを感じます。教会学校のお楽しみ会やクリスマス会に来てくれたお友達を、「ママいの!」メンバーが祈りに覚えて迎え、声をかけてくれることも心強いです。小学生になると、子どもたちが自分でお友達を教会に誘うようになります。彼ら自身が楽しい場所だと思える教会であることを、感謝しています。福音の種まきをする小さな働き人たちのために、教会学校の先生方にも祈っていただいています。

メンバーの中には、教会員ではなく教会学校に子どもを送っているママもいます。就職、結婚、出産、引越などで生活が変わると、それまでと同じ教会生活を誰もが送れるわけではありません。(できているとしたら、それはただ主のあわれみによります。) 夫がノンクリスチャン、母教会が遠くなって子どもを連れていけない、転勤が多い、様々な事情から、それぞれのライフステージにおける礼拝生活、教会生活を模索している方々が地域にいることに気づきました。そして、教会との関わり方は人それぞれであっても「子どもには教会に行ってほしい、信仰を持ってほしい」という共通の願いがあることを感じます。子どもの成長はあっという間なので、この課題は待ったなしです。子どもたちを神様のもとに導きたいママに(パパにも)、祈りの輪を広げたい。子どもたちがどんな時にも神様を信頼する者へと成長していくように、励ましあっていきたい。そのために、これから「ママいの!」がもっと用いていただ けるのではないかと、期待しています。

(2014年9月発行No.45掲載)

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