近年日本の教会ではユースミニストリーという言葉が頻繁に用いられるようになってきました。一般的にユースとは中高生(小学生はチルドレン、高校卒業後の若者はヤングアダルト)を指しますが、ではミニストリーとは、どのような意味を持つ言葉でしょうか。英語のNIV訳聖書では、ギリシャ語のdiakoniaという言葉が、ministry(ミニストリー)という言葉に訳されています。同じ言葉の動詞形、diakoneoが新改訳聖書では、「もてなす」(マルコ1:31)、そして「仕える」(マルコ10:45,ヨハネ12:26)という言葉に訳されています。更にギリシャ語辞典によれば、diakoneo は、「必要を充足する、人生における必需を満たす働き」と定義されています(Vines Complete Expository Dictionary)。ユースミニストリーにとって、福音を「伝え」、聖書を「教える」といった能動的な働きが必要不可欠であることは言うまでもありません。しかしそれらは、主に対し、そしてユースに対し「仕える者としてへり下る姿勢」を持ち、また「ユースを知り、彼らの状態や必要にしっかりと目を向ける」といった受動的な働きと共に行われるべきであるという事ができるかもしれません。
数年前、クリスチャンの大学生を対象に、自らのユース期に体験した信仰の成長や様々なチャレンジについて振り返ってもらうインタビューを実施したところ、今まであまり思いもしなかった事柄が明らかになりました。以下にそのいくつかを列挙します。
1)ユース期のクリスチャンとして辛かった(ある者にとっては最も辛かった)チャレンジとして彼らの多くが語ったのは、個々の所属する教会の規模に関係する同年代のクリスチャンの友人の不在、又は少なさで、それは自らが抱え悩む問題の相談相手の不在を意味するものでした。一方で悩みの内容自体は多種多様で、教会奉仕や男女関係、家族問題、救いの確信、また将来の不安等が挙げられました。
2)インタビュー参加者の多くは、ユース期に「クリスチャンとしての大きな転機」と自らが認識する出来事が訪れたことを語りました。またその中で非常に興味深かった点は、インタビュー参加者全員が教会外のクリスチャンユースの集まり、具体的にはそれぞれが属する教団主催のキャンプやHi-b-a 等の超教派キャンプをその転換点を体験した場所として挙げたことでした。
3)インタビューの中で語られた「クリスチャンとしての大きな転換」とは、同じ年代のクリスチャンとの出会いと、その後に起こったポジティブな変化を示すものでした。「同年代のクリスチャンの新しい友人に様々な悩みを打ち明けた。」「同年代のクリスチャンが自分と同じような悩みを持っていることを知って安心した。」といったコメントが多く聞かれました。また彼らはその後起こった変化を「信仰の成長」と呼び、以下のような事を語りました。「教会を批判的に見ていた自分を反省した。」「このキャンプを転機に目が神様に向けられた。」「自主的に教会に行き、礼拝に参加するようになった。」「聖書に興味を持ち、読むようになった。」「神様の存在を近くに感じるようになった。」
これらの事柄を私たちはどのように分析することができるでしょうか。まずインタビューに参加した学生が、クリスチャンのユースとして辛かった事に、個々の悩みそのものより、クリスチャンの友人の不在を挙げた事に注目すべきでしょう。ここで「悩みを打ち明けることが出来ない」という悩みの大きさにとても驚かされます。またインタビューの結果を見ると、クリスチャンキャンプ等で作った友人に悩みを相談し、同じ悩みで苦しむ人と悩みを共有することで、個々の悩みが解決の方向に向かったこともわかります。ユースが自らと同世代のクリスチャンと交わることの重要性をここに見る事ができるのではないでしょうか。またクリスチャンキャンプ等において同世代のクリスチャンと交わったユースが、その事を通して彼らの「信仰が成長した」と語った事も興味深い点です。彼らは自らに「信仰の成長」をもたらすきっかけとなったのは「交わり」であったと認識しています。更には教会やキャンプでの「学び」が、信仰の成長のつながったと語った者がひとりもいなかった点にも着目すべきかもしれません。もちろんこれは「学び」は「信仰の成長」に不要という考えに直結させるべきデータではありません。当然、キャンプで打ち明けた悩みに対して友から受けたアドバイス等は、個々のユースがそれまで積み上げてきた「学び」から導き出されたものであったでしょう。しかし一方でこのデータが明らかにしていることは、教会等で受動的に「学ぶ」ことより、キャンプ等での能動的な「交わり」が、ユースの「信仰成長」の引き金となるということなのではないでしょうか。そしてまた交わりを通して起こった信仰の成長が「学び」をより充実したものに変えていったという事もインタビュー参加者によって語られています。聖書が「主にある交わり」の大切さを繰り返し語る理由をそこに見ることができます。

(2013年2月発行No.43掲載)

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