サラン教会という弟子訓練を教会の大切な柱としている韓国のメガチャーチで、弟子訓練のコースを受け、その指導者セミナーにも参加しましたが、ここでは韓国で受けた弟子訓練を日本でどのようにやっているか、そこで何を感じているかということをお分かちさせていただきます。
「サラン教会の弟子訓練」は信徒を目覚めさせることに目的を置いています。信徒一人一人がキリストの体に属する肢体です。すべての信徒がキリストからの使命を受け、聖霊様がその使命を果たすために、ひとりひとりに賜物を与えておられます。しかし、多くの教会では信徒たちが眠っていて、その力を発揮できずにいます。だからこそ、この信徒たちを聖書的な観点で再発見し、目覚めさせるところに重きを置いているのです。また、信徒たちをイエス様の弟子として訓練し、イエス様の弟子としてこの世に派遣することで神の国が広がっていくことを目指して弟子訓練に励んでいます。そうやって、信徒一人一人を訓練し弟子としていく働きに集中し、懸命になったときに教会は大きくなったと聞きました。伝道集会をやるよりも効果があったと。
また、韓国で教会生活をしている時に衝撃を受けた悔い改めの言葉が「私たちがこの世に対して何の影響力も持っていないことを赦してください。」でした。個人的で自分勝手な信仰、自分さえよければいいという信仰をイエス様は決して望んでおられないことを強く感じました。そのために御言葉に従うことで人格から変えていくことにも、この訓練が重きを置いていることを知り、今迄の学びとは趣を異にしていることを感じました。これを日本の既存教会で導き手としてやるにあたって、変化を余儀なくされたのは次のことでした。

①スピード
韓国では1週間に2回のペースでクラスが持たれますが、日本の教会では月に2回にしました。日曜日が忙しい日本の教会においては、多くの奉仕を抱えているメンバーが毎週集まって一定の時間を学びに費やすことは不可能でした。また、韓国人と日本人の気質の違いもあるでしょう。全体的にかかる時間は長くなりますが、ゆとりは必要でした。追い立てられるのは、日本人は教会の中においては好まないようです。
②宿題
弟子訓練には多くの宿題があります。暗唱聖句、説教要約、デボーション、生活宿題、通読、祈り、読書感想文など。レポートとして毎回の提出が求められるものもあります。サラン教会の受講生は面接を受け、多くの中から選ばれた人だけができるので動機も違うのだと思いますが、日本の教会で初めからこんなに宿題を出したら志願する人は減るでしょう。やめた宿題もありますし、受講生の年齢、立場、信仰歴を考えつつ宿題の内容などもやさしくしました。
③目的を変える
サラン教会では、小グループのリーダーになるためにこの弟子訓練を受け、さらに上のクラスを受けて行きます。しかし、日本では「これを受けたらあなたは信徒のリーダーになりますよ」という目的で始めるとさまざまな誤解が生まれたり、それは無理とやめてしまう方々が出てくることがわかりました。それぞれの教会にふさわしく必要な目的を立て、それに上手にこの弟子訓練を合わせて行くことも知恵の一つだと感じました。反対に、変えてはいけないもの、変えなくても良くなったものがありました。
①本質
「イエス様の弟子になる」「イエス様に似たものになる(小さなイエス様になる)」という弟子訓練の最大の本質、また、弟子訓練を通して自分の賜物を知ること、信仰を目覚めさせることは絶対に妥協してはいけません。そこを揺るがされるときは、宿題を減らすことも、宿題の質を落とすこともなく、また要求を引き下げることもせずに、厳しく毅然とした態度で、良く説明をしながら進んで行きました。本質がぶれると全てがぶれて行き、導き手(教職者)自身がただこなしていくだけになってしまうので、効果はとても小さくなります。
②志願制
好きな時に初めて、好きな時にやめるではなく、自分で志願し、申し込み、しっかりとしたクラス編成をして始めることが大切です。自分で志願したという責任、同じメンバーで1年半やるからこその親密な交わりと祈りは欠かせないものです。
③宿題
宿題の中にはやめてはいけない宿題があります。それは、暗唱聖句、デボーション、生活宿題、そして説教要約です。デボーションは信仰の基本です。これがなければ信仰はぐらつきます。その良い習慣を身につける良いチャンスです。また、説教要約は今迄なんとなく聞いていた説教に対して真剣に聞くようになります。説教をまとめ、感想と決断を書いて導き手に提出しますから、いい加減な気持ちで聞くことはできません。また、まとめるためにもう一度説教を見返しますから説教を2度聴くことになります。そうしていくことによって、その人の礼拝生活に影響が出てきます。弟子訓練の中で一番大きな影響を与えるのは生活宿題です。既存の聖書研究はそこで勉強して終わりだったことが多いです。いくら、これを実践してみましょうと言っても実践されることはとてもまれでした。しかし、この弟子訓練の生活宿題は違います。神様について学んだら「神様の性質を意識して過ごした結果、あなたの生活がどう変わったかをレポートしなさい」という宿題が出ますし、御霊について学ぶと「御霊の実を結んできなさい」という宿題が出ます。サタンの誘惑の学びの後には「サタンと戦ったレポート」が求められるのです。次のクラスで分かち合いがありますから、やったふりはできません。とてもしんどい宿題です。しかし、神様はお一人お一人に必ず働いてくださり、その人の生活にその宿題に合う出来事や試練などを起こされるのです。それをしていくうちに、生きて働く神様を経験していきますし、教理は頭だけで理解して終わるものではなく、自分の信仰に、実生活に、人格に大きな影響を与えうるものであることを経験させられてしまうのです。
韓国の弟子訓練を日本に適応していくには、確かに変えるべきところはあります。でも妥協して変えるのではなく、日本でより良くそれが用いられるために変えていくべきだと実感しました。そして、この訓練を通して神様が必ず本質を実現してくださることを期待を持って信じるということも教えられました。教える側と教えられる側、ではなく、共に神様の前に出ること。小グループで行うのですが、この10人前後のメンバーが一つとなって互いの苦しみ、痛みを共に祈り合っていく中で祈りによる信頼関係が生まれることを見てきました。一番は「御言葉を学ぶ」のではなく、「御言葉を生きることを学ぶ」ということでした。そうやって御言葉を生きたとき、決して高慢や自慢でなく神様の栄光を表す言葉として「私、変えられてしまったのです」という発言が受講生から出てくるのです。弟子訓練を受けたメンバーの80%が次のクラスに進みました。楽ではないけど、必要なものを知ったお一人お一人の決断です。「小さなイエス様になる」が合言葉のように飛び交うようになりました。信徒が変わると教会が変わる。その本質は真実だと少しずつ実感しています。

(2010年12月発行No.40掲載)

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