1.現代社会を漂流する子どもたち
現代社会の青少年に関する問題を挙げていくと、インターネットの長時間使用、誹謗・中傷のネット書き込み、仮想世界への傾倒、両親の労働長時間化、生活習慣の乱れ、自己チューな風潮、生命尊重の心低下、引きこもり長期化、仲間関係の希薄化、対人スキルの未熟、発達障害の診断急増、自己像の低迷、性行動と性病の低年齢化、社会的格差拡大と貧困率増大、グローバル社会における異文化共生など、枚挙にいとまがない。
2.揺れ動く学校教育
課題山積の中で、学校教育に目を向けると、「ゆとり教育」と言われ、総合学習、福祉体験や職業体験等が導入された一方で、長期に渡る基礎学力の低下が指摘されてきた。基礎学力重視へと舵がとられ、学校行事が切り捨てられる一方で、小学校で「英語」の授業が導入され、「道徳」の教科化も検討される等、学校行政は揺れ動き、先行きが不透明である。政治が安定性を欠いていた事情もあるが、子どもたちの価値観・倫理観をどのように育むか、といった長期的な見通しがないように思われる。教育基本法第九条が、特定の宗教のための宗教教育だけでなく、すべての宗教のための宗教教育をも禁止していると解釈され、公立の学校で宗教的価値観さえ教えられていないのが現状である。
3.発達心理学の概観
子どもの成長という観点から見るならば、ピアジェの認知発達段階論、エリクソンの心理社会的危機などの理論が確立されている。人間の成長は、一生涯に渡り、各年代の共通性があり、乗り越えるべき課題があるとされる。また、コールバーグの「公正の道徳」発達理論によると、子どもの価値観は、道徳的思考と深い関わりがあることを示している。しかしながら、日本人青少年の道徳性の発達を見ると、前慣習的水準(罰を避ける段階/賞を目指す段階)を超えて、慣習的水準(周りの承認を求める段階/法と秩序を守ろうとする段階)まで達しても、自律的水準(社会契約的法律思考/普遍的な理念を探究する段階)に到達することが稀である。周囲の価値観の影響を受け易く、個人的な倫理観・価値観が確立されているとは言い難い。知性や社会性、道徳的思考が未成熟な故の問題でなく、卓越した知性を備えている人にも問題行動がみられる。行動に強い影響を与える動機づけ、信念、倫理観等が置き去りにされている。
4.宗教性の発達心理学
海外においては、宗教の人間成長にもたらす影響力が早くから調査対象とされてきた。ゴールドマンは、宗教的思考の発達に三段階の発達段階があることを示し、ファウラーは六段階の信仰的発達の理論を提示した。ウェスターホフは信仰の四段階を描写し、人間の発達に伴って、宗教的な考え・価値観・行動が変化していく経緯を記した。このように「宗教性」或いは「信仰」に対しても、発達心理学的なアプローチを適応することが可能であることが実証されている。
5.日本人クリスチャンの「宗教性」発達モデルの研究
日本では、体系的に「宗教性」「信仰」の発達を調査しようとする試みは、ほとんど存在しなかった。多くの宗教が存在し、スピリチュアルな関心も強まる中、宗教なるものの定義からして、困難を極めるであろうことは、想像に難くない。その中で、松島公望は、プロテスタントA教団の神学生への聞き取り調査、及びキリスト教主義学校・プロテスタント教会への質問紙配布を通して、「宗教性」を信念、体験、共同体、効果報酬、効果責任の五つの概念に分析し、相関関係を調査した。
松島によるならば、日本人クリスチャンの宗教性の発達モデルは以下のようである。
- 「共同体」との接触、宗教知識の吸収、行動を通し、現実的な宗教と接触する。
- 聖書のことばを聞く。
- 神に対する興味、求める思い、神に近づく気持ちを持つ。
- クリスチャンになる決心をし、祈り、信仰を持つ。(回心体験・救い)
- 救いが確実となり、聖書によって確証を与えられる。
- 洗礼を受ける。
- クリスチャンになって、行動や価値観の変化に気づく。(現実定義の内在化)
- より近く神を感じ、神を信じて、行動するようになる。過去の神の導きと計画に気づく。(以下省略)
また、調査結果を統計処理した結果は以下のようであった。
- 教会では、クリスチャンが非クリスチャンに比べて、信念、体験、共同体、効果報酬(心の平安・感謝・自己内省に対する評価)、効果責任(礼拝出席、伝道、聖書通読、奉仕に対する評価)の全てに対して有意に高い得点を示し、高い宗教性を示していた。
- 5つの因子は、互いに有意な正の相関関係にあった。
- 宗教性の発達には年齢の影響も関与していた。
- キリスト教主義学校の生徒の「宗教性」と援助行動との関連をみると、「宗教性」の一部が援助行動(他人を助けようとする行動)を促しているという結果が観察された。
- 教会では、青年が年齢と共に高い聖書知識を有していることが確認されたが、宗教性と聖書知識との相関関係は確認されなかった。
松島の調査は、プロテスタントが調査対象であったが、以上の結果は他宗教にも応用可能であろう。
6.考察と結論
日本では、スピリチュアルブームがマスコミの話題になり、宗教的な世界への関心が広がっているが、多くは占い、オカルト、習俗としての祭りなど、表面的な取り扱いである。宗教は私的なものと考えられ、公立の学校では宗教について学習する機会がなく、宗教に関する組織的な研究も欠落している。このように宗教的知識が欠けていることは、人間の全人的発達に深刻な影響を与えている。宗教性は人間に強い信念、動機、目的意識、責任感、心の安定を与える可能性があるが、それらが欠落していると、行動や認識が偏ったり揺れ動いたりしやすい。日本人の道徳観・倫理観が慣習的水準に留まることとも関連が深いように思われる。
世俗化の影響を受けているヨーロッパでは、告白的な宗教教育から、現象学的宗教教育に移行している。すなわち、宗教を教義、神話、倫理、儀式、経験、社会の六つの側面から理解する方法論が用いられている。さらに、言語だけに頼らず、劇・音楽・絵画・映画・コンピュータ等の多様なメディアを活用して想像性に訴えるナラティブ・メソッドの有用性が指摘されている。青少年の成長を育むという観点から、公の学校教育、特に「倫理社会」「道徳」において、宗教的価値観が積極的に導入されることを期待したい。
(慶應大学出版会「現代社会とキリスト教」2011より転載)