自分が教会学校に出席する子どもだったとき、教会は私の居場所であり、また多くの「発見」の場でした。教会学校のカリキュラムについては20%ぐらいは面白く、後の80%ぐらいを退屈に感じていた子どもでした。むしろカリキュラムの外で、新しく発見することがいっぱいだったのが私の教会生活です。例えば、大きなお兄ちゃんたちが、いつも遊んでくれて、新しい遊びを教えてくれる。楽器がいっぱいあって、ギターやドラムを体験する。外人さんが来て、世界の面白い話しを聞かせてくれる。ホームレスの人が交代で住んでいて、人生の変わった知恵を教えてくれる。こんなこともあった、ある日、牧師と青年たちが話し合って、屋根から瓦を捨てはじめました。教会を二階建てにしようということでした。子どもの私も一緒に瓦を運びました。数日後、雨が降りました。外は普通の雨でしたが、ビニールシートをつたって集まった雨水が教会の玄関の内側に、滝のように落ちていた光景を鮮明に記憶しています。いつも、何か不思議なことがある予感がするのが、私の教会体験でした。
そんなドキドキ感を、子どもたちにも感じ取って欲しい、人生の豊かさを学んで欲しいと思います。
1.発見する喜び
鳩山のぞみ教会には、「レッツゴー発見隊」という体験学習をする子ども会があります。不定期ですが、なるべく月に一度、日曜の午後に行います。近年は、多くの子どもにとって日曜朝9時に集まることが難しいからです。今までやってみた内容は、野外工作、ハイキング、ザリガニ釣り、畑、ケーキ作り、たこやき、などなど自由な発想で、楽しくやります。
発見のカテゴリーを、四つ葉のイメージで伝えています。
<第一の葉:いのちの発見>
いのちは神様から与えられたかけがえのないもの、ということを伝えます。脈を測りあったり、ドクンドクンと鳴る心臓の音を聴くこともあります。胎児の時にはじまる心臓は、休まずにビートを刻み続けている。「すごいねぇ、生きてるねぇ」と語り合います。指紋を、紙につけて観察する。世界中に何十億人いたとしても、同じ指紋は一つもない。声の声紋もみんな違う。私たちの賛美の声は、上手か下手かということを超えて、みんな世界で一つのユニークでかけがえのない賛美の声なんだよと伝える。かけがえのないいのちの価値がある。
また、いのちの価値を伝えられると、そこから、胎児について、性についての学びも、子どもたちにすることができます。性をなぜ大切にするのか、それはいのちの源として神さまが与えてくださったものだから。
生かされているいのちには意味がある。そして、そこには不思議な神様の目的がある。私たちが神様の栄光を表わすために、生きる目的がある。それを、子どもたちと一緒に発見していくのです。
<第二の葉:み言葉の発見>
人の心は、声によって養われると言われます。文字にあらわされる視覚言語の前に、耳への語りかけとして声として伝達される聴覚言語があります。赤ん坊も、文字を覚えたり、あいうえおを学ぶ前に、お母さんの語りかけによって心が育ちます。声によって運ばれる言葉は、心から心へと届けられる、人格の言葉です。教会学校でみ言葉を伝えるときに、そのことを大事にします。受験勉強の延長のような聖書の知識の詰め込みはしません。聖書のみ言葉を、神様から子どもたちへの声として心に届けます。子どもたちの霊がみ言葉を響かせることができるように願い、メッセージを語ります。
<第三の葉:恵みの発見>
み言葉を通して伝える中心のことは、神様の恵みです。いのちも恵みの賜物です。なによりも、イエス様ご自身が神様からの愛のプレゼントとして、地上にお生まれになり、十字架におかかりになり(ヨハネ3:16)、聖霊によってイエス様が共にいてくださるのです。その福音を子どもたちに手渡します。
<第四の葉:自然の発見>
なるべく自然の中で、神様が造られた世界のすばらしさを経験できるようにします。鳩山という場所は、すぐ側の空き地に野生のキジが歩いているぐらい自然の豊かな里山です。川もあり、山もあり、森もある。近くの友だちで酪農家や犬のブリーダーをしている人がいます。そういう人に相談して、生まれる瞬間を立会ってみたいと思っています。自然の美しさ、そこにあるいのちの輝きを子どもたちと一緒に、発見していきたいと思います。
2.福音のドラマ性を伝える
教会学校で、一番大切なことは、み言葉に聴くことです。まず、教会学校教師がみ言葉に養われる経験を通して、子どもたちにみ言葉の豊かさを手渡します。ホーリネス教団の教会学校研究会では、子ども説教の手引書『心に届けよう!バイブルメッセージ――子ども説教のための7つのStep』を出版しました。とても丁寧な手引書です。説教の準備段階で取り組んだこと全部を、もし実際のメッセージに盛り込むと大変な分量になってしまいます。そこで、語るメッセージのドラマ性をキャッチして、ある部分に集中して語ることが大切になります。子どもたちに、メッセージが残るために、私は「福音ドラマの交差点」という考え方を紹介することにしています。
聖書物語のドラマ
教理のドラマ
人生のドラマ
教会学校でのメッセージの一つの基本となる方法は、聖書のストーリーを物語(ものがた)ることです。聖書のストーリーを、子どもたちの前に飛び出してくるように再話(さいわ)して、聖書物語に子どもたちを引き込み、聖書の中でイエス様と出会った人たちが経験した恵みを追体験します。これが聖書物語のドラマです。
聖書物語の内側に、教理的な主題によって表現できるドラマ性があります。私は、この教理的なメッセージが非常に大切だと思っています。神様の愛や救いを、フィーリングや感情で受け止めている人がとても多いからです。そうすると、人間関係のこじれや苦しみを経験すると、救いが分からなくなってしまいます。それとは対照的に、教理的に福音を受け止めることができると、試練に対してしなやかに、苦難にあうたびに信仰を深める道を見出すことができるのです。教理は、救いの内的ドラマです。英国の女性作家ドロシー・セイヤーズが「ドグマ(教理)こそドラマ」という素晴らしい言葉を残しました。教理的な思想を表わす言葉は、そのままでは子どもには難しいのですが、しかし他方、教理的意味合いのない言葉は、心に蓄えられる言葉とはなりにくいのです。この教理という側面は、主題説教というかたちで表わされるでしょう。
上記の、聖書のストーリーと教理のドラマと交差するもう一つのドラマが、人生のドアラマです。子どもたちの生活、言葉、心の状態などが、み言葉のメッセージの中で福音と出会うのです。子どもたちに先んじて、CS教師が、説教準備の中でイエス様と出会っていく経験をしていきます。なんと感謝なことでしょう。
3.平和教育
もうひとつ、ここでシェアーしたいことは、子どもへの平和教育の大切さです。『聖書の光』(2008年、No.154)に「平和のメッセージを子どもたちに手渡す」という記事を書いたことがありますが、現代、キリスト者として聖書から平和を考え、平和を祈り生きることが大人にも子どもにも大切なことです。聖書学の分野でも、シャロームを救済論の中心軸として展開する研究書が出されるようになりました。ウィラード・M・スワートリーの『平和の契約』(東京ミッション研究所)などは、その代表的な著作かもしれませんが、平和づくりに生きることは、周辺のことではなく、福音の本質と係わることと思っています。
教会ほど、国際的な場はあまりないでしょう。しかも、そこで出会う外国籍の人々は、異質な存在ではなく、主にある兄弟姉妹です。最近、どこでも話題になるエコの問題も、限りある世界の資源をどのように用いるかという平和の問題と直結しています。また、世界中には紛争の被害によって、強い偏見や憎しみを抱えている民族が多く有ります。私たちの住む東アジアでも、なお癒えていない痛みが多くあるのです。様々な方法で、身近な課題として、平和を考え、祈り、生きる教会となりたいと心から祈っています。
(2010年2月発行No.39掲載)