私は6代目のクリスチャンです。初代は坂本龍馬と同じ時代に生きた女性、小島弘子です。彼女は1837年に長野県上田市に生まれ、17歳で嫁ぎ、若くして夫を亡くし、上田教会で明治9年に受洗。後に、横浜偕成聖書学院の2期生として40歳を過ぎて入学、卒業後はバイブルウーマンとして伝道した女性です。2代目は小島弘子の長女の家族小島友太郎という弁護士一家です。松本で活動し、松本教会の礎を築きました。3代目は日野忍(裁判官の妻)、4代目が大城恵美子(医者の妻)、5代目が私の母、湊晶子(前東京女子大学学長)、そして、私の娘(高校1年)も感謝なことにすでに受洗の恵みにあずかっているので、現時点で7代目まで信仰が継承されました。しかし、この7代にわたる信仰継承は、決して幸せな家庭生活の中でなされていったわけではなく、それぞれが神様から与えられた様々な試練の中で苦しみながらも常に主を信頼し祈りつつ歩み続け、そのような信仰の姿を見て子や孫に受け継がれてきたものだと感じています。
私が幼い頃、日曜日にはいつも家族5人で教会に行っていたので、私自身もごく自然に神様を信じて歩んできました。しかし私が10歳のときに脳疾患が原因の事故で、父が突然天に召されてしまいました。数分前まで一緒に遊んでいた父が目の前で意識不明になってしまった現場に居合わせた小学校4年生の私にとって、その状況はすぐに受け止められることではありませんでした。やがてその感情は、大好きだった父を突然奪った神様に対しての怒りとなり、中学時代は塾や様々なことを理由に、年に数回しか教会に行かなくなってしまいました。そのような私の行動を家族や教会の皆様は一度も責めたりすることなく、むしろ陰で祈り続けて下さり、私はその祈りに支えられ少しずつ変えられ、悔い改めることが出来、高校1年生の時に受洗の恵みにあずかりました。
神様に対する反発の感情を持っていた私が少しずつ変えられたのは、母や祖母の深い愛情の中で過ごしたことと二人の信仰の歩みをこの目で見てきたこと、家族と教会の方々の祈りが背後にあったこと、そして、毎日の生活の中に信仰の種が蒔かれていたからだと思います。
日々の生活の中で母や祖母から聞いたエピソードを少しご紹介したいと思います。
①母が小さい頃、二階へ行って雨戸を閉めるように言われて「怖い」と言うと、「汝ら信仰薄き者よ」と言われ、また、いたずらをして叱られ机の下に身を隠すと、「お母さんの目はごまかせても神様の目はごまかせませんよ」。「主を畏れることは知恵の初め」(箴言1:7)と子ども心にも大きな力が天にあることを知らされた、と母から聞いた話。
②曾祖母は、松本から馬に乗って上田まで行き、汽車で東京に行き、女子学院を卒業した、筋金入りのクリスチャン。今日爆弾が落ち、死ぬかもしれない日でも毎朝4時に起きて聖書を読み祈っていたという、曾祖母の信仰生活。
③母が留学時代に自分を誘惑から守ったことは、祖父母が毎日寝床の上に正座して祈っている姿だったという。私自身も留学時代、何度となく幼い頃、横に寝ていた母の祈っていた姿に励まされ、背筋を伸ばしたことを思い出す。神様と向き合って祈っている親の背中は偉大だと思う。
④父が44歳で急逝したあと、祖母が用いた聖句。「私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。」(コリントⅡ4:8)祖母は「最後まであきらめるな。出来る限りを尽くせ。必ず解決の道はある」と祈り、いつも私たちを励まし続けてくれた。
⑤祖母と母は私が苦悩していた時、様々な聖句をしたためた手紙を送り続けて、祈ってくれた。
私が見てきた曾祖母・祖母・母の信仰の姿は、どのような状況にあっても日々黙々と聖書を読み祈る姿、毎週の礼拝を守り教会の様々なご奉仕をしている姿、神の家族として教会の方々と助け合う姿、絶対者なる神様を信頼しゆだね、神様との縦軸をしっかりと意識し歩んでいる姿でした。そういう信仰の先輩たちからかけられた言葉は、私のかけがえのない財産、私の信仰の礎となっています。
この10年間、私は数々の困難の中で大きな決断を迫られていました。その日々の中で、ふと手にした母の本の言葉で支えられました。それは、44歳で未亡人となった母が、高1・中2の兄と小4の私を抱え、途方に暮れていた時のことを振り返って書いたものでした。
『正直言って私の頭の中は、この子たちを一人前にするための経済的自立と、今後何事も一人で決断し処理していかなければならない精神的自立の問題で一杯であった。しかし貧弱な私の経済学に立つのではなく、神の経済学に立つときに、すべて必要なものは備えられ、不安が一つ一つ見事に取り除かれるのを私は実感として知った。「何を食べるか、何を飲むか、何を着るかなどと言って心配するのはやめなさい。・・・あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらすべてのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」(マタイ6:31-34)
また、私の精神的不安も、主にゆだねるときに、一つ一つ解答が与えられてきた。解答はすぐに与えられなくても数日後あるいは一年たってはっきり示された。
旧約時代の詩人は「わたしは山に向かって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。わが助けは、天と地を造られた主から来る」(詩篇121:1-2)と、神との人格的交わりから解答が来ることをはっきり示している。
自分の力だけで立とうとするとき、そこには気負いがあり、あがきがある。しかし、神との真実な交わりの中に置かれるとき、そこには自由があり、解放感があることがはっきり示された。』(「女性のほんとうのひとり立ち」湊晶子著、いのちのことば社)
東日本大震災、東京もすごく揺れました。娘は学校から帰れず、学校に泊りました。母とは地震直後から全く連絡が取れず心配しましたが、夜になり、都心のホテルのロビーで一夜をあかすと連絡が入りました。80歳近い母ですが、混乱するホテルのロビーで一人どっかりと座っていたらしく、それを不思議に思った側の女性が、なぜ冷静でいられるかを尋ねてきたそうです。母は今までの母の人生を振り返りつつ様々な話をし、やはり神様との縦軸が揺るぎない関係であることが最も大切なことであることを話したそうです。その女性は、もっとその生き方を知りたいので母の本を読みたいと住所を交換して、朝別れる頃にはすっかり友人になっていたそうです。神様を信頼して生き抜いてきた母からは、キリストの香りが放たれていたのだと思います。あらためて母を尊敬しました。私もキリストの香りを娘へ、そして次の世代へ・・。主を信頼し主を見上げて、揺るぎない神様との縦軸をしっかりと土台に据え、日々を歩ませていただきたいと思っております。
『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。』(Ⅰテサロニケ5:16-18)
(2011年9月発行No.41掲載)