私はクリスチャンの両親の間に生まれました。幼いころから神様の存在を信じ、親と共に素直に祈り、毎週日曜日には家族揃って教会の礼拝へ行くという生活でした。
また、子どもの私にとって、教会はたくさんの友達と遊べる楽しい場所でした。午後は日が暮れるまでひたすらサッカー、サッカー。「おーい、そろそろ帰るぞー」という父の声で、「じゃ、また来週!」と仲間たちと別れ、車に乗って帰る。当時のことは今でも懐かしく思い出されます。
バイブルキャンプで罪と救いについて学び、信仰告白の決心をした私は、中学3年生になる春にバプテスマを受けました。式の後、教会の方々が胴上げをして下さいました。自分は教会の多くの方の祈りの中で育まれてきたことを感じました。
大きな挫折
ところが、高校に進学すると、思いがけない困難が待っていました。「不登校」になってしまったのです。現実を受け止められない苦しい時が続き、出席日数の不足により留年。挫折感と深い悩みの中でさまよう日々が始まりました。うまく生きられない自分に失望し、自分を受け入れられず、生きるのが苦痛で仕方がありませんでした。
神様を疑った
教会の方々は、いつも充実して楽しそうでした。しかし、それは当時の私の目には、自分とは別世界の住人のように映ってしまいました。悩みに答えてくれる言葉も、きれいな“模範解答”のように感じてしまったのです。
やがて、私の心には疑いが生まれました。「神様がいるなら、どうして何の助けも解決も来ないのか?それは、神様なんて元々いないからじゃないか・・・・・・?」
身勝手ですが、一度抱いた疑念は大きくなり、神様から心が離れていってしまいました。神様も、聖書も、人間が自分の心の安らぎのために創り出した産物なのではないかと考え、クリスチャンの生き方までも、窮屈でつまらないものに見えてきました。
ここには解決はない。そう思った私は、教会から離れてしまったのです。
生きる理由は何?
両親は、教会に行くよう強制はしませんでした。学校についてもそうでした。それは非常に忍耐を要することであったに違いありませんが、神様を信頼して、じっと「時」を待っていたのだと思います。家で私のために祈る母の姿をよく見かけました。
しかし、私はといえば、教会に行かず、学校にも出たり休んだりの生活。
私は知りたかったのです。なぜ、人は生きるのか。それは心の問いであり、叫びでした。そして、自分を本当に受け止めてくれる何かをずっと探し求めていたのでした。
それがあれば苦しくても生きていけると思ったのです。けれども、どこにもその答えを見出すことはできませんでした。
ドン底を包んでくれた温もり
ある冬の夜、こんな人間などいなくなってしまえばいいと思い、私は自分の部屋で、自らの命を絶とうとしました。その現場に、ちょうど父が「ストーブ切って寝たか?」とやって来たのです。「お前、何やってんだ!」と血相を変えて飛び込んで来た父は、私を抱きかかえながら、涙を流しながらその場で神様に祈りました。
「お前がこんなに苦しんでいるのを見て、父さんは断腸の思いだ」。
その夜、もう大きな私の体を一晩中ふとんの中で抱きながら、父は一緒に寝てくれました。あの時の父の温もりは、胸の奥まで染み込んでくるものでした。忘れることができません。
ずっと祈られていた
ある時、教会から電話があり、修養会の参加者にキャンセルが出たので来てみないかとお誘いを受けました。くたくたに疲れて反抗心も溶けていた私は、気分転換に行ってみることにしました。
私は、教会から離れていた者のことなど、皆さんは半分忘れているだろうと考えていました。ところが、思いがけないことに、私は温かく迎えられたのです。おそらく両親から祈りの課題として聞いていたのでしょう。私の手を握り、涙を流しながら、「生きていてくれて、また会えてよかった」と言って喜んで下さった方々がありました。
私はずっと祈られていたのでした。私は心の中で教会を捨てたのに、教会は私を捨てなかった。理屈抜きで、愛を感じました。
教会。久し振りに帰ったその交わりには、忘れていたとても温かいものがありました。そして、その力に、素直に惹かれました。
「わたしはあなたを愛している」
それから、私は少しずつ教会の礼拝に出席するようになりました。
その日の説教は、イザヤ書43章4節からでした。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」
それは、幼い頃から何度も聴いてきたみことばでした。にも関わらず、初めて聴くような衝撃がありました。神様が直接、私に語りかけて下さっているように感じたのです。「わたしはあなたを愛している。」
まるで空っぽの器に水がドッと注がれるように、神様からの真実な愛のメッセージが心に流れ込んできました。ずっと探し求めていたパズルの1片を、そして決定的な場所を、神様が満たして下さった日でした。
みことばにとらえられて
本当に神様がおられるなら、求めてきた答えはこの聖書の中にある。そう思った私は、無我夢中に聖書を読み始め、毎週教会に通うようになりました。そして、キリストの十字架の愛で愛され、赦されていることを改めておぼえました。
「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネ7章37、38節)
イエス様の言われたことは本当でした。こうして、主のみことばの力を実感させられながらの歩みが始まったのです。
結び
今、私は教会で牧師として奉仕させて頂いています。救われた者として、福音を宣べ伝えて生きるように導かれました。教会の愛する方々と共に、主を礼拝して生きる恵みを味わいながら歩んでいます。
かつての、出口の見えない暗いトンネルのようだった時期。それはしかし、振り返って見ると、救い主はこのお方以外におられないことを明確にされた大切な数年間でした。そして、“家の”信仰ではなく、“自分の”信仰を確立する時だったと思います。
また、辛い時期ではありましたが、父と母がどれほど私を愛し祈っていてくれたのかを示されました。主に背き、人を悲しませ、迷惑をかけ通しできた者ですが、だからこそ赦される恵みを深く教えられたと思います。
神様は確かに、生きる意味を求めて叫んだ私に、真実に答えて下さいました。
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8章28節)
これからも一足ずつ、主の確かな御手に信頼して歩んでいきたいと願っています。
(2010年2月発行No.39掲載)